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犬時計/ひとりつぶやき
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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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ボクは今30代なんですが、勝ち馬投票券(要は”馬券”です。)を買える年齢になった頃に、その後の競馬史にも燦然と輝く伝説的な名馬が現役としてターフを駆け抜けていたのをとてもよく憶えています。

それまでの競馬界を支えていたベテラン競馬ファンのおじちゃん、おばちゃんはもちろん!!の事、当時では全然ッ!珍しいかった若い女性の方、カップルさん方をも巻き込んだ言わば”社会現象”ともなっていましたよね。
それまでも競馬ブームはありましたが、それこそ”空前の”オグリ”ブーム”!!!だったでしょうか。
オグリ人形とかすごく流行っていましたからね♪(笑)
車内にそのオグリ人形をいっぱい飾って置いてあるクルマをよく見ましたぁもん☆

伝説的怪物名馬オグリ死す! 伝説的怪物名馬オグリ死す!

当時、それはそれは凄い!!競馬ブームで、その代表・中心にいた人気・ヒーロー馬こそが、、、
『芦毛の怪物』ことこのオグリキャップでした。

彼はいわゆる”地方競馬界出身”の田舎もん!(笑)でした。
JRAの中央競馬界は最高級品種の馬たちが各年代で競い合う、まさにエリート競走馬の集まりです!
※重賞レースの”GⅢ、GⅡ、GⅠ”なんてクラスはある意味、エリートの中のエリートと呼べるでしょうか。

そんな中に突如!颯爽!と新風の如くオグリキャップは登場してきました☆
エリート馬たちをなぎ倒すかの様に勝利を重ね、ついには”GⅠ馬”としても出世し、いち田舎馬がエリート中のエリート馬を倒す!という、なんともドラマチックなレース、勝負を行っていたんです!彼は…。

その名を全国区にした印象の強いレースがやはり有馬記念でしょうか!
中央競馬界のその一年の締めくくりでもあり、年度最後の大きなグランプリ・レースです。
その年の年度を代表する馬への投票をファンから集い、その人気投票数上位と獲得賞金上位として認められた銘馬だけにレース出場を許されるという、馬たちにとっても、それに携わる(調教師さんや馬主さんら)人間たちにとっても、そして競馬ファンにとっても、大変に注目度の大きな年度最終レースなんです―。


1989年(オグリ5歳)の時。
もはや人気・実力の両面で”強さを増したオグリ”として評論家、ファンからも絶大の支持を受けるようになっていたオグリ。
有馬の前走だった”ジャパンカップ”での活躍がよりオグリの評価を高めるものになっていました。
しかし、周囲からの注目とは別に連戦レースしているオグリには大きな疲労感もあった様で、それを承知の上で有馬記念に出場するのですが・・・結果はレース終盤にペースも落ち5着という(ファンからするとまさかっ!?の)惨敗!!!でした。

翌’90年(オグリ6歳)の時。
有馬の惨敗を引きずるかたちで年度初めから調子を落としたものの、春5月に行われた安田記念では(当時の)コース・レコードを更新する復帰を飾ります。
続く春オールスター・レース”宝塚記念”で事件は起こります。
調子を戻し期待されての2着ではありましたが、、、そのレース後に”足の故障”が発覚!(”骨膜炎”を発症する―。)

これまでの連戦を駆け抜けた代償をここに来て受けるカタチと見られ…それはそれは大きなニュースにもなりました。
新たな若い世代のファンを生みつつある(当時の)競馬ブームの中、その人気馬不在は競馬界にとっても大きな痛手でもありました。


故障からのいよいよの復帰戦となった秋ジャパンカップ(外国産の有力馬vs国産馬の対決レース)では、その故障の影響でしょうか?成績は全く振るわずの11着…。
オグリ人気に陰りも見え始めたその頃!?だったでしょうか―。

これまでの故障による影響や不調を配慮する声やまだまだオグリ人気に乗ろうとするファンやら、その影響力は衰えていませんでした。
が、ついには”引退”をも取り沙汰される社会問題になる中、オグリは現役最終のレースとして選んだのが昨年、惨敗を喫したあの”有馬記念”の舞台でした。

当初は言わば故障明け、不調という立場から体調面も不安視され、新時代を掴んだスターホースとしてのその評価も決して右肩上がりでは…なかったと思います。
もはやオグリの時代は終わったと嘆くファンだって少なくなかった思います!

全てにおいてオグリへの心配や不安の高まる国民的注目の中で行われた”第35回有馬記念”。
その時、この大舞台でまさに!!彼は”怪物”そして”伝説”へと昇華されましたぁ!!

中山競馬場の坂道の第3コーナーを回って、それまで馬群にいたオグリは大外から抜け出す様に集団ともに第4コーナーへ。
そして最後の直線コースでは、ライバル馬4頭との必死のムチの叩き合い!!
残りライバル馬が3頭…2頭…と脱落して行く中、さらに残り標識も”200”を過ぎた頃にはついにオグリは先頭へ!
昨年のいや、これまでの屈辱を一気に晴らすかの様な怒涛のラストラン披露!!!
最後の最後でオグリのライバル、メジロライアンの強烈なまでの追い上げを制し、見事っっ!!!有馬記念を自身の引退レースという節目の中での1着優勝を獲得!!!!
引退レースにして最期の大復活!!!でありました。

伝説的怪物名馬オグリ死す! 伝説的怪物名馬オグリ死す!

このオグリの歴史的復活レース劇を目のあたりにし、全ての競馬ファンいやそれ以外の一般の方々までもが感動し涙しつつ、拍手と声援とを送り続けていました。
競馬界の国民的ヒーローです。

場内、とても大きな”オグリ~ッ、オグリ~ッ♪コール大合唱!!!
それを受け声援に応えるオグリと(当時、新進気鋭の天才)武豊騎手。
それはこれまでの競馬界でもとても珍しいかつ新時代を告げるかの出来事、シーンだったかと思います。

オグリがこれまでに披露した戦歴やレースは、大きな大きな感動とともにその名を歴史に刻むこととなりました。

”クラシック三冠馬”でない馬(ましてやデビューは地方競馬だった!)が、ここまで人々の記憶にも記録にも残るって…
みんなから愛され可愛がられた素敵で偉大な芦毛のホースだったんだ!
と言うのが分かるかと思います。

今でも競馬に詳しくない方や馬券を購入されない方にだって…きっとその名を聞いたことは多分にあると思うんですよね。。。”怪物”オグリキャップと―。


改めて、、、

 オグリキャップ ありがとう!!!
  
    ご冥福をお祈りします―。



そしてオグリが伝説となった…有馬記念での見応えあるレース!



○「芦毛の怪物」オグリキャップが死亡
伝説的怪物名馬オグリ死す! 伝説的怪物名馬オグリ死す!

 多くファンから人気を博し、競馬ブームを支えたアイドルホースで「オグリ」「芦毛の怪物」などの愛称で呼ばれたオグリキャップ(牡25歳)が3日、余生を送っていた北海道・優駿スタリオンステーションで、脚部を骨折して死亡した。

 オグリキャップは1987年に地方・笠松競馬でデビュー。12戦10勝と圧倒的な成績を残し、1988年に中央競馬(JRA)に移籍した。中央競馬では引退レースとなった1990年の有馬記念を含む重賞12勝(うちGI4勝)という偉大な記録を残した。通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。
 競走馬の引退後は種牡馬となったが、中央競馬での重賞勝ち馬を出すことはできなかった。主な活躍馬にクイーンS2着のアラマサキャップや小倉3歳S2着のオグリワンがいる。地方競馬ではアンドレアシェニエ(牡9歳、現役)が14勝を挙げている。2007年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。

 オグリキャップは父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母の父シルバーシャークという血統。笠松時代は鷲見昌勇厩舎、中央時代は瀬戸口勉厩舎に所属。1988年にJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年にはJRA最優秀5歳以上牡馬および、年度代表馬になった。


△引退レースに騎乗した武豊騎手の話
「競馬の歴史にすごい名を残した馬に2度騎乗させてもらって本当にありがたかった。誇りに思う。オグリを知らない若い世代のファンもいらっしゃるので、あのスーパーホースのすごさを伝えていきたい」

△オグリキャップを管理した瀬戸口勉元調教師の話
「大変残念です。ファンの馬だから、皆がっかりするでしょう。引退レースに勝ったのが忘れられない」

△増沢末夫元騎手の話
「ああいう名馬だし、亡くなるというのは残念ですね。骨折ですか…」

△笠松競馬時代の装蹄(そうてい)師の三輪勝さんの話
「長生きをしていたから、いずれはと思っていたが、悲しい。元気な時にもう一度会いたかった」
(サンスポより)



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すごい!!アメリカトーナメント”開幕2週連続”の優勝者が”44年ぶり!!”の快挙!!だとか。
日本人プレーヤーでは当然!初めての大偉業☆

昨季の初優勝!から先週の今季開幕戦優勝…そして連続週のチャンプと宮里藍選手が好調の波に俄然ノッているゾ~♪
宮里藍、開幕2連勝=米ツアー44年ぶり
この1日に帰国した宮里藍選手は”ベストを尽くしたら、たまたま勝てた。そこまですごいことをしたとは思っていない!”とコメント。

…なんて冷静で大人な対応なんでしょ!

次戦は地元の沖縄ということで、もしかして…あり得るよね!?連続3週目!!!

○藍、44年ぶり開幕2連勝達成!

 宮里藍が開幕2連勝の快挙を達成した。

 米女子ツアーシーズン第2戦HSBC女子チャンピオンズはシンガポールのタナ・メラCCを舞台に現地時間28日、最終ラウンドの競技を行った。前週のホンダPTT LPGAタイランドで優勝した宮里(藍)が7バーディ、4ボギーの3アンダー69をマーク。通算10アンダーとし、逃げ切りで開幕2連勝を飾った。

 ツアー史上、開幕からの連勝は1966年マリリン・スミス以来、実に44年ぶり。開幕戦以外では、一昨年にロレーナ・オチョア(メキシコ)が記録した出場4試合連続優勝に続く快挙。勝った宮里(藍)は「今日はタフな戦いでした。リーダーボードに強豪がひしめく混戦でしたから。最終組だったので、そのことに関してもプレッシャーがありました」と素直な心境を吐露した。

 その言葉通り、出だしは苦しんだ。1、2番は連続ボギーで首位の座から転げ落ちる。だがそれで開き直り「無理に落ち着いたふりをしても仕方ない」と気持ちを切り替え、攻めのゴルフに転じると、3番であわやオーバーか? と思われたパーパットがカップイン。「ストロークが良かったから」と自画自賛で波に乗る。

 圧巻は11番からの3連続バーディ。11番で約6メートル、12番では約12メートル、13番でも約5メートルのパットを沈め、勝利に突き進んだ。勝ったのは「結果にこだわらず、目の前のショットに集中する」という自分のスタイルを貫き通したから。「エビアン(昨年ツアー1勝目を挙げた試合)で勝つまでは、こんな日が来るとは思ってもいませんでした。でもやるべきことをやった結果」と納得の表情でトロフィを掲げ持った宮里(藍)。2連勝で大きな自信をつかんだ彼女は、次週国内女子ツアーのダイキン・オーキッドに凱旋出場する。

 その他上位は2打差の単独2位に、この日4アンダー68をマークして猛烈な追い上げを見せたクリスティー・カー(米)が入り、通算7アンダー3位タイにディフェンディング・チャンピオンの申智愛(韓)、先週2位のスーザン・ピーターセン(ノルウェー)、ヤニ・ツェン(台)、キム・ソンヒ(韓)の4人が食い込んだ。

 また初日トップタイ発進ながら2日目崩れたロレーナ・オチョア(メキシコ)は、通算4オーバー38位タイに終わっている。(ISMより)



世界の”賞金女王”を目指せ!!


”ゆうつべ”にて早速アップされてあったので、貼ります。※リンク切れの場合はあしからず


☆”韓国の妹”が”世界の王妃”になりましたっ!
五輪女子フィギュア、フリー 五輪女子フィギュア、フリー
五輪女子フィギュア、フリー 五輪女子フィギュア、フリー

○女王・金ヨナは世界歴代最高得点で浅田を寄せ付けず金メダル

 ショートプログラムでライバルの浅田真央に4・72の差をつけてトップに立った金ヨナのフリーは、鮮やかなブルーの衣装。フィギュア・リンクでの「青」は、長野五輪以来、トリノの荒川静香を含む「女王の色」だ。曲は、「ピアノ協奏曲ヘ長調」。ガーシュインによる、ジャズを基調とした軽快な曲に乗り、フリーで150.06点、合計228.56点の世界歴代最高得点で、安藤美姫を上回り、続く浅田真央も寄せ付けなかった。

 滑り出しから風格を感じさせる演技だった。連続3回転ジャンプを難なく成功させ、トリプルフリップの着地では笑顔さえみせた。すべてに余裕を感じさせる演技は最後までつづいた。終盤のトリプル・ルッツも完璧に決まり、まったく死角がない。

 演技終了まで固唾を飲んだ観客は、エンディングとともに大歓声をあげた。さすがに女王も感極まったか、リンクの中央で泣き出してしまった。韓国中の期待を背負い続けたプレッシャーから解放された瞬間でもあった。(共同/産経ニュースより)




演技を終えた浅田真央。右はタラソワ・コーチ

○浅田真央一問一答

--演技を終えて

 「トリプルアクセルを2回跳べたことはよかったですが、それ以外は満足していません。アクセルを2回跳んでから緊張感が出てきて(なぜか)分からないですが、身体が(緊張を)感じていました。でも後半にかけては自分を信じて迷いなくいけました」

 --トリプルトーループが1回転になったが

 「トリプルトーループはよく覚えていません。ガクッとなってしまったので、とっさの判断です。すぐに跳べばよかったかなと後悔しています」

 --五輪で得たものは

 「ショートプログラムでベストが出たことと、フリーで2回トリプルアクセルを跳べたことです。トリプルアクセルを認定されたことは充実感あり、やってきてよかったと思います」

 --銀メダルですが

 「自分の演技がパーフェクトではなかったので納得いっていません。得点は自己ベストでよかったですが、ミスが2つあったので悔いが残っています。ただメダルを取れたことはよかったし、たくさんの声援を改めて感じ、うれしかったです」

 --五輪はどうだった

 「初めてのオリンピックは経験したことのない雰囲気で、4年に1度の舞台に出れてよかったです。悔しい思いがありますが、すごくいい舞台だと思いました。(次の目標は)世界選手権でまず自分の演技をすることです」
(共同/産経ニュースより)




○フィギュア女子 談話

◇最大の夢がかなった
五輪女子フィギュア、フリー
 韓国・金妍児(キム・ヨナ)両親が見ている前で人生最大の夢がかない、信じられない気持ち。昨年の世界選手権で優勝したが、完ぺきな演技ではなかったので、今回はSP、フリーともきっちり滑りきりたかった。今まで演技を終えて泣く選手の気持ちが分からなかったが、きょうは自然と涙が出た。うれしくて、安心したからだと思う。

◇悔しい思いある
五輪女子フィギュア、フリー
 浅田真央 悔しい思いはあるけど、(五輪は)すごくいい舞台だと思った。自分の演技がパーフェクトではなかったので納得はしていない。メダルを取れたことはよかった。すごく重たい。(金妍児の点数は)声援であまり聞こえなかった。

◇世界中の人々に感謝する
五輪女子フィギュア、フリー
 カナダ・ロシェット この苦しかった数日間、支えてくれた世界中の人々に感謝する。自分自身、自分の国、わたしの(亡くなった)母のために滑った。感情をコントロールして集中できたことを誇りに思う。

◇メダル欲しかったが…
 安藤美姫 メダルは欲しかったが、SPで連続3回転に逃げずにトライできたし、気持ちを強く保てたのは自分の成長だと思う。五輪は特別だが、試合は試合。みんなが楽しめるよう選手としての誇りを持って、日本人ということも忘れず頑張れた。今後も一日一日を大切に、自分の人生もスケート人生も成長していきたい。

◇歌うように滑れた
 鈴木明子 直前の6分間の練習がうまくいかず、気持ちが弱くなりそうだったが、その何十倍も練習してきた時間を信じようと思った。音楽を感じながら、歌うように滑れたので本当に幸せな時間。最後は解き放たれた気持ちと現実に戻った実感で感情がバッと出た。

◇楽しんで滑れた
 米国・長洲未来 大きな大会の最終グループで滑るのが初めてですごく緊張したが、小さいころから五輪に出たかったし、怖がるより楽しんで滑れた。次の五輪では20歳になっているし、もっとたくさん経験を積んで表彰台を目指したい。

◇目標は達成
 吉岡伸彦監督 男女合わせて複数のメダルという目標は達成できた。全員が入賞できたのはうれしく思う。浅田選手は集中してトリプルアクセルを二つ決めてくれた。結果として銀メダルを獲得できたのは喜んでいい。金妍児選手は完成度が高く、今回の五輪の金メダルにふさわしいと思う。
(時事通信より)

金メダリストの金妍児(韓国)(中)を祝福する銀メダルを獲得した浅田真央(左)




※記事内、すべてが”引用もの”になっています(苦笑)。
関連記事(個人的な感想含む)は…”浅田真央選手 銀メダル(女子シングル~NHKニュース7より)”にて。
○”銀メダル”です。
NHKニュース7より女子フィギュア NHKニュース7より女子フィギュア

”金メダルはキム・ヨナ(韓国)選手。完璧な演技でした!”
NHKニュース7より女子フィギュア
「世界最高スコアを更新ですっ!!」(TV実況)


NHKニュース7より女子フィギュア NHKニュース7より女子フィギュア
”安藤美姫選手は5位!、鈴木明子選手は8位!ともに入賞を果たしましたっ!!”

浅田真央【銀】 【金】はキム・ヨナ
NHKニュース7より女子フィギュア
こんばんわっ!”ニュース7(セブン)です。
バンクーバー・オリンピック、注目のフィギュア・スケート女子シングルは後半のフリーが行われました。
浅田真央選手は残念ながら逆転の金メダルはなりませんでしたが、ライバル韓国のキム・ヨナ選手と世界最高レベルの戦いを魅せてくれました。(ちなみにアナウンサーは武田真一アナです。)


(浅田とキムは)ジュニア時代からのライバル。オリンピックの舞台で頂点に立つのは浅田か?…キム・ヨナか?

”キム・ヨナ 圧巻の演技”
先にリンクに立ったのは前半のショート・プログラム(SP)、トップのキム・ヨナ。
高さのあるジャンプを次々に成功させます。
完璧な演技で、表現力でも極めて高い評価を得ました。
自らがもつ”世界最高得点”を大幅に更新する圧巻の滑りで、浅田にプレッシャーをかけます。
《キム・ヨナ(韓国) 228.56→世界最高!》


”逆転ねらう 浅田真央”
登場を待つ、浅田。(演技後)キム・ヨナへの大歓声にこのしぐさ(音楽を聴き集中する)。
”(話)すごく声援が大きかったので、(ヨナが)あっすごくいい演技だったんだなぁていうのが感じました。/浅田真央選手談”

逆転するのは一つのミスも許されません。
~マオ、アサダ!という紹介とともに浅田真央、リンクへ入場。
(ここでこの浅田選手の演技を注目する日本全国の各地からの映像が流れる。)
浅田選手が在籍する中京大学をはじめ、札幌、福岡…山形の農家の人たちは作業を止めてまでも、、、列島中がその演技を見守る…

NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央(0)

演技の冒頭、2回の”トリプルアクセル”に挑みます。
”百発百中を目指してきましたトリプルアクセル!バンクーバーの2本目っ!!”(TV実況)
NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央(0) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央(0) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央(0)

「(!!見事に成功~♪)”完璧に回りきりましたっ!!」(TV実況)

シーズン序盤、苦しんだ大技をすべて成功させます。
NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (5) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (6)
さらに、課題だったスパイラルでも最高レベルの評価を得ます。

ところが、後半のジャンプ。

「トリプルゥ~…ルッうぅうっ・・・ダブル・ループ、ダブル・ループ…」(TV解説)
NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (7)
↑ジャンプ着氷後にバランスを崩すミス―。

さらに、次のジャンプでも…

「あうっ!!」(TV解説) 「うっとぉおっ!??…(ジャンプに)失敗した…」(TV実況)
  日本列島で見守るファンも「あっっ!!!(悲鳴とため息と…)」
NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (8) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (9) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (10)
スケートの刃が氷にひっかかる(痛恨!の)ミス!!ジャンプも1回転に―。

”ホントに最後の方だったので、少し足にも(疲れが)来てたので、少しエッジが取られてしまったのかなぁ…と思います。でも、あそこで跳べばよかったなぁと今すごく後悔をしています―。/浅田真央選手談

NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (11) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (13)


後半にミスが出た浅田。演技を終えても、笑顔はありませんでした。

NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (14) NHKニュース7より女子フィギュア~浅田真央 (15)

自己ベストは更新しましたが、”金メダル”には届きませんでした。

各地で新聞の号外が出されりしていた。
街の人の反応は…
”真央ちゃんが金メダルではなかったのが非常に残念です。”
”銀(メダル)でも素晴らしい!金と同じ銀!”
”銀メダルでもすごいことなので、胸を張って帰って来て欲しい!”
”真央チャン、銀メダルおめでとうぉ~☆”


演技のあと浅田は…

五輪女子フィギュア、フリー (2)

(どんな4分間でしたか?)
浅田:”そぉ~ですね、ホントにあ”あぁ…長かったというかあっという間でした。”

(長かった、あっという間、そのように感じたのはどの辺ですか?)
浅田:”(涙)…。…。” 
浅田:”…悔しいですけど、自分のできる事ができたかなと思います(涙)。”


《表彰式》

健闘をたたえ合う浅田とキム・ヨナ。
NHKニュース7より女子フィギュア (16) NHKニュース7より女子フィギュア (17)

二人の初めてのオリンピックが終りました―。
NHKニュース7より女子フィギュア (18)


《金メダルのキム・ヨナ選手は》
NHKニュース7より女子フィギュア (19) NHKニュース7より女子フィギュア (20)
(金メダルをみせてください)
ヨナ:とても重いです!(笑)

NHKニュース7より女子フィギュア (21)
ヨナ:五輪で勝てたことがまだ信じられない。私の夢でした。だからとてもうれしい!



二人の対決!勝敗を分けたポイントは?
(解説、八木沼純子さん)
”(キム・ヨナ選手は)勝つためのプログラムを組んできた。結果としてそれがでたんじゃないかなと思います。”
”(浅田選手が)とにかく、トリプルアクセルを2度成功させて完璧に認定されたと言うことが、本当に素晴らしい!”
”まだまだあの2人は進化していくだろうなという風に今回のオリンピックを見ても思うので、それにこれからもずっと(2人の)戦いを見て行きたいですよね。”


(おわり)


※2月26日夜NHKで放送された”ニュース7(セブン)”をブログ記事として再現しました。


《追記》
○NHK刈屋アナぼう然…「コメント浮かばず」

実況を務めたジャパンコンソーシアム(NHKと民放の共同取材チーム)の刈屋富士雄アナウンサー(49、NHK)は「最高レベルの争い。特に最終グループは今の女子フィギュアの最高の演技を出し合った」と各選手の見事な戦いぶりを絶賛。

 これまで数々の名フレーズを残してきたが「浅田選手の演技が終わった瞬間、コメントが浮かびませんでした。演技自体は絶賛したかったのですが、浅田選手の気持ちを思うと何と表現したらいいか分かりませんでした」と説明。「点数では負けましたが、人の心を揺さぶることが本質でもあるフィギュアとしては浅田選手の演技は最高でした」と賛辞を送った。(スポニチ・アネックスより)

※刈屋アナと言えば!…『伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だぁぁ~ッ!!』(アテネ五輪男子体操)や『トリノのオリンピックの女神は…荒川静香にキスをしました!』(トリノ五輪女子フィギュア)での名言を残している名実況アナです。
糸井重里さんとの対談もされています。こちら




真央ちゃん、おつかれさま!!
ヨナももちろんおめでとう!!
この二人の存在感が女子フィギュア界のレベルの高さ、面白さ、魅力ある素晴らしさがより伝わってくるのだと思いました。

二人とも本当にすごい!!ですね。
どんな練習、日々の精進をしたらこんな大舞台でも戦える強靭な精神力を養えるのでしょうか?!


今日は日本列島”浅田真央の日”なの???と思えるほどにTV各局がどこもこの競技の報道をしていましたね。
お隣、韓国ではさらなるヨナ、ヨナ~♪でしょうね。

今回の”対決”、日本のスポーツ史上にも残るだろうの強烈な印象を与えてくれましたっ!!
素晴らしい。


○浅田SP2位、金妍児トップ=安藤は4位につける−女子SP〔五輪・フィギュア〕

 フィギュアスケートは23日、女子ショートプログラム(SP)が行われ、浅田真央(中京大)は73.78点で2位、金妍児(韓国)がSP世界歴代最高の78.50点でトップに立った。
 浅田は冒頭の3回転半ジャンプ(トリプルアクセル)を成功させるなど、高得点をマーク。直後に滑った昨季世界選手権優勝の金妍児(韓国)も、完ぺきな演技で浅田を上回った。
 2度目の五輪出場の安藤美姫(トヨタ自動車)は64.76点で4位。初出場の鈴木明子(邦和スポーツランド)は61.02点で11位だった。ジョアニー・ロシェット(カナダ)が71.36点で3位。
 フリーは25日に行われる。(バンクーバー時事)
フィギュアスケート女子SPで演技する金妍児(キム・ヨナ)



バンクーバー女子フィギュアSP バンクーバー女子フィギュアSP
”NHK夕方6時のニュース”でもトップとして扱われていましたね♪
真央ちゃん自身の予想以上の達成感と評価得点だったのでしょう!とんでもない”笑顔”が弾けてましたね。
五輪女子SPとしては史上初となる”トリプル・アクセル”(3回転半)の成功~ッ!!!(凄いネ☆)

浅田真央選手:
”とりあえずホッとした。良かったと思います。(フリーに向けて)しっかり落ち着いてやることだと思います。”



バンクーバー女子フィギュアSP バンクーバー女子フィギュアSP
その浅田真央選手の歓喜と興奮冷めやらない会場の中、キム・ヨナ(韓国)の登場!
”007”の音楽そのもののようにクールにビューティーに☆演技力、技術力、その表現力を発揮・披露してパーソナル・ベスト(SP史上で世界歴代最高得点)をあっさり(!?)と達成~ッ!!!(こちらも凄いネ☆)

キム・ヨナ選手:
”オリンピックの場で、よいスタートができて嬉しいです。(緊張は?の問いに)当然、緊張はしましたが、練習でもうまく滑れて確信が持てて、緊張せず思ったとおりにすべて滑れたので嬉しいです!”
”2日間メインのリンクで練習したので、集中することが出来ました。”



やはりこの”真央・ヨナ”の二人による運命的な頂上決戦対決になりました!!



※ミス無く演技した浅田真央選手とキム・ヨナ選手、なぜ二人の得点に差が開いたのか???
キム・ヨナ選手のジャンプは3回転・3回転のコンビネーション・ジャンプでした。現在のフィギュア界のルールでは、”ジャンプのすべての要素”(主にジャンプ、スピン、ステップ)、その他の色々な要素に関して、さらに”出来栄え”というものが付く(ジャッジされる)。
ジャンプの”基礎点”プラス”出来栄え”というところで、このキム・ヨナ選手の方に(少し)評価が高かった。

ただ、二人とも使っている曲は演目も違うし、そういって意味でも二人とも本当に”甲乙”付けがたい、素晴らしい出来であったことは間違いない!(解説、八木沼純子さんのテレビでの解説より)

…とのこと。



バンクーバー女王を決める”フリー演技”は日本時間で26日の金曜日(午前中)!!!(どぇらりゃ~。。。大注目でしょ)



ありましたね~♪

先日、惜しまれつつもリング上で”引退”をされたノアの象徴、三沢光晴の激闘とこれまでのプロレス人生を称えた週刊プロレス誌発刊、増刊による”三沢光晴 緊急追悼特集号”です。
IMG_0196三沢光晴追悼特集号
↑どうですか?!この表紙・・・・貫禄あり☆ですね。
ベルトはノアの至宝でもある”GHCヘビー級チャンピオン・ベルト”です。

実のところ、いずれはこういう企画本が出るかと思ってましたが、こんなに早い段階で出版されるとは・・・・(甘かった・・です。)
で、ノーマークでした。

この追悼特集号が発売される(た!)を知ったのが、今週明けになってからでした。しかも売り切り必死模様!!??というニュースを観て・・・(大汗”)。

完全に出遅れました。
スグ(もー遅いって・・・)にも近所の本屋へ行きましたが、ありません。
それでも、どうやら増刷もあるみたいな(?!)風の便りもあったので、そんなに焦ってもなかったのですが、今日(24日/水曜)ですよ。JR横浜駅のスグお隣にある駅ビル内にある大きな本屋へ寄ってみたら・・・

ありました!(残が2冊だよー・・・苦笑)

スグにレジへ向かいましたよ~(ラッキー☆)。


とりあえずこうして手に取れて、中身も確認でき・・・ひと安心♪
しました。


ただ・・・

ただ、中身のボリューム感が・・・・薄っぺらい!(苦笑)
”薄っぺらい”と書くと語弊かな。
言わばと言いますか、まさに!?週刊誌の増刊号!と言った趣きなんでしょうかね!?

内容自体は、まぁ~、、、まぁです(!?)。
大きな不満はありませんが、これを究極的な”永久保存版”とするには、ちょっと物足りなさ・・・もあったり?なかったり??

なんですよね―。
(※”緊急”の”追悼特集”号だから、またいずれ大御所的な豪華本も出てくるのかなぁ??期待!ですね。)


IMG_0196三沢光晴追悼特集号 (1)
↑表紙の次のページには、豪快なエメラルド・フロウジョンが―。


IMG_0196三沢光晴追悼特集号 (2)
↑タイガー時代、超世代軍時代~四天王時代の記事もありますからね。
写真ページでは、藤波に武藤、鈴木みのるに曙、小川直也に橋本、永田に蝶野に冬木に棚橋、小島聡・・・と、おぉー今更ながら組み合わせがスゴイね☆

どの対戦ももっと若いときに・・・・は野暮ですね―。

IMG_0196三沢光晴追悼特集号 (3)
↑この”三沢歴”は個人年譜になっております。
僅か2ページなんだけど、とても重たい2ページなんですよね・・・。すごい!!!この歴史、栄えある素晴らしいレスラー人生だったんだなぁ~と改めてすごい!!!の想いです(・・・うまく書けない・・)。


他にも、結果的に三沢光晴の最後の試合での最後の対戦相手となってしまった齋藤彰俊選手の”独白”とされたページも興味深い。
今も心ない者からのバッシングや嫌がらせ等々を受けてる!なんて報道も聞きますが、やっぱりそれは違うと思う。そんなバッシングや嫌がらせは齋藤選手以上に三沢光晴の面を、これまでのプロレスに懸けてきた魂を汚すことになるんじゃないかな!?

自分、弱いから逃げちゃうよ・・・。齋藤俊彰選手はこうして今も現実を、全てを受け止めてリングに上がって戦っている!!・・・本当にスゴイ!!と思う。
逃げずに戦っている・・・すごいです。

この齋藤俊彰選手の記事もご興味のある方は是非とも一読ですかね・・。



何だかこどもが書く感想文みたくなってしまったけど~

裏表紙にもあるけれど・・・

三沢光晴を忘れない―。

とありますが、異論はありませんね。





○反響WBC以上…三沢さん特集号1日で完売

 13日の試合中に亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)の特集号が異例の売れ行きを見せている。日本で唯一のプロレス専門週刊誌「週刊プロレス」(ベースボールマガジン社)は17日発売号が、1日で約5万部が完売。増刷した約5万部も残りわずかで、東京・千代田区の同社にはファンから「どこで買えるのか」など、問い合わせが殺到している。同社の販売部は「反響の大きさは今春のWBCと同じ。いやそれ以上でしょう」と分析した。20日に発売された「緊急追悼特集号」(定価420円)も約8万部を発行したものの、週明けには完売の勢いだ。都内でプロレス関連の書籍を多く扱う書店の担当者も「今回はプロレスファン以外の方も購入されています」と、あらためて三沢さんの影響力の強さを実感していた。(2009年06月21日~スポニチより)



○ノアのキングであり象徴が・・・・悲痛・・・・・です・・・・。
07年1月撮影時の三沢選手

○プロレスラー三沢光晴さん死亡=試合中頭を打つ

 13日午後8時35分ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館(グリーンアリーナ)で開かれていたプロレスリング・ノア広島大会で、レスラーの三沢光晴さん(46)が投げられた後、意識不明となり、午後10時10分、搬送先の病院で死亡した。
 広島中央署によると、三沢さんはプロレス興行会社の社長兼レスラー。午後8時すぎから始まったタッグマッチに出場し、約30分後にバックドロップで投げられ頭を打った後、意識がなくなったという。
(時事通信)



○<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。

 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。(毎日新聞)






※驚きました・・・。
ゴシップ(いい加減なウソ・捏造)記事/ニュースかと思いましたが、こうして時事通信に記載されているのを見ると、どうやら信じ難いのですが、本当らしい・・・。
涙出てきます・・・。

非常にショック!!です。残念です―。


自分的にも思い入れのあるレスラーでした。
2代目タイガー・マスクとして、当時(確か・・・)徳光和夫アナの興奮し絶叫した選手紹介によって、颯爽とリング・インしてきたのを(うろ覚えなのですが・・・)覚えています。
全日の注目されている若手選手にはよく組まれたエース格選手へなるためへ自分より格上の選手らと戦う登竜門!”(タイガー)7番勝負”を行ったり、そのタイガー時代からもJ・鶴田や天龍ら(ヘビー級の選手らと)のタッグ・パートナーとして全日の将来を担う有望株な選手の一人として精進してましたね。

小橋、川田らと決起した”超世代”軍の中心選手として、当時の絶対的エースJ・鶴田に反旗を唱え、マスクを脱いで素顔の”三沢光晴”として来るべく新時代へのプロレスを模索し始め、J・鶴田との熱い激闘の数々によって、プロレス界の新たなヒーロー像として広く認知されて行ったかと思います。

その大きな鶴田という壁を遂には攻略し頂上をも昇り詰めましたね!(当時の自分は鶴田のファンでもあったので、鶴田を越えて行った時は、TVの前で負けた寂しさもありつつ三沢の師匠越えともいえる活躍が嬉しくもありましたよ・・。)

総帥ジャイアント馬場亡き後の全日本を脱退しプロレスリング・ノアを立ち上げ、そのノアの象徴として戦い続け王者としても君臨してました・・・。

60分間の試合時間を壮絶にフルタイム戦う凄まじい試合もしょっちゅうありました。
スタミナ切れをしそうでも、キン肉マンみたく”火事場のクソ力”みたいな違う強心臓スタミナみたいなモノを持っていて、相手の大技・決め技をも吸収するかのレスリング技術の高さはとにかく、す、凄かったんです。

三沢がまだタイガーのときに当時のボクは高校生で、週刊サンデーを毎週水曜の楽しみでもあったのですが、三沢タイガーのグラビア(?)インタビュー記事があって、当時流行っていたアイドルの浅香唯が好きだった・・・なんて普通の兄チャンが語っている様なインタビューを強烈に覚えてもいますね・・。



プロレス界を一変させた”四次元殺法”の初代タイガーと比べ(てしまうと・・)、三沢タイガーはやはりまだカラダ自体や技も完成されていなく、その技や試合の組み立てでもどこかぎこちなかった印象もあったりでした。
ただ、いわゆる若手時代から何かの強い星を持っているのか、卓越されたリーダー性を持っていたのか(?)、同じ若手群にあっても特別に目立つ方だったのではないでしょうか。馬場さんに”タイガー・マスク”として抜擢されるほどですから、若手の中にあっても将来性の高かった選手だったのでしょう。
若手の中の”兄貴分”みたいな・・。
若くしてどこか頼れる存在でもあったのでしょうか。

素顔となった三沢光晴のレスラーとしての存在感や肉体の強さ、技のキレやスピード感等々、全日~ノアでの大飛躍に大活躍はもはや言うまでもありません―。
そして何にしても先陣を切るかのリーダー・シップ性も素晴らしかった!と思います。


自身、最近のノアと言いますか、プロレス自体の興味も薄れ、各団体のリング情報にも疎いのですが。それでも”あの”興奮や輝きのあったプロレス人気の復興には、この三沢の言動や影響が今後も必ず大きなものを占めるかとも思っていたので・・・。
この訃報がとにかく!何にせよ残念でありません!!!!
です。

ホント!?にリングの上で亡くなってしまうなんて・・・・



ご冥福をお祈り・・・・って今は考えられません!!!

  また復活して欲しい! あの世界最強の”三沢エルボー”を観たいっ!!!




三沢vs川田(三沢、タイガー・ドライバー’91による勝利)



J・鶴田vs三沢(J・鶴田、バックドロップによる勝利)



三沢よ永遠に! 入場曲”スパルタンⅩ”


三沢まで、、、レジェンド・レスラーへとなってしまうなんて・・・
本当に涙でた・・。

ありがとうございました。
 お疲れさまです。。

多くのファン同様に実感はまるでありませんが、
 謹んでご冥福をお祈り致します。。

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