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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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”週刊プロ野球セ・パ誕生60年史の”1968~69年”を記録した41号が発売されてました。
最終の50号まで、ラスト10にもなりました!
週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1968~69年 表紙
表紙は江夏豊投手(阪神タイガース)
今の時代では到底信じられない!!!”401奪三振”(当然!今だに破られていない球界記録)を残したシーズンがこの’68年でした。

三振は王選手から・・・”奪三振”イヤー江夏豊投手
タイ記録と新記録を強烈までにライバル視していた王選手から奪取☆
この甲子園球場で躍動感のある江夏投手と、それに圧倒されたのか空振りをする王選手との写真が、、、(白黒だけど)全く色褪せていない!(感動。。。)


昭和40年代前半の風景 子どもたちが巨人ナインを囲む
”商店街の舗装されていない道路を巨人ナインが移動のバスへ向かう”…写真がカラーでないとは言え、まさに”昭和の風景”!当時10才の子が、この今の時代では50才にもなるという…。
今の平成時代のお父さん、お母さんが子どもの頃だった写真って、その子たちらが観るとどう思うのだろう??

球界史上最悪になるスキャンダル”黒い霧”事件!
いわゆる”黒い霧事件”もこの時代でした。
プロ野球史に残る汚点!大スキャンダルな事件だったようです。
”八百長”といえば、、、昨年、台湾プロ野球界が大揺れしましたね。対岸の話とはいえとても残念な話…。
日本野球界のOBも関わっていたのか?そうでないのか??よくは分かりませんが、プロスポーツである以上は、”八百長”自体がダメだよね。その競技自体の魅力が潰れるもの!!
この”黒い霧”も二度とあってはいけないね。
健全的なスポーツこそ観るのも楽しみたい♪

400勝投手に!!!!金田正一投手
日本球界における通算最多勝!!!!”400勝”って…本当にすごい!!!!
もう誰にも追い付けない数字でしょう☆
今回のこの41号、時代が時代だけに”白黒”写真が目立つのだけど、金田投手(巨人時代)のカラー写真が眩しく載ってますよね。

でも金田さんといえば(そもそも現役時代なんて観て無いけれど~)、ロッテ監督時代の”暴れん坊”ぶりの方が…印象強いです(笑)。


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IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年
1962年(昭和37年)号の表紙は・・・・
阪神タイガースの2大エース、小山正明投手と村山実投手です。
このシーズンの小山投手は27勝(13完封含む)、村山投手は25勝で最優秀防御率のタイトルも獲得する大活躍でした。当然!阪神も2リーグ制になってからの初優勝!でした。

IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (1)


IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (4)
日本シリーズ(第13回)は”阪神対東映
東映が村山投手を攻略して、2連敗のあとの4連勝で日本一。
延長が4試合もあったそうで・・・。


他にも・・・

IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (2)
選手のあの”一本足打法”が完成されたシーズンでもあったそうですね。
ここから”世界のホームラン王”へと大化けされていったのですね!!
王さんは自身でも当時の他のどの選手より素振りの回数は多かった!とあるTV番組のインタビューでも仰っていました。
誰にも真似の出来ない努力と練習量で、完成させた”一本足”。
とてつもなく”本物”でカッコイイ☆です!!!


IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (3)
その王選手を同じバット・マンとして尊敬し認め、心のライバル視をもされていた!という張本勲選手です。
この号では特集が組まれていました。

今春にはイチロー選手(マリナーズ)にプロ通算安打数記録でついに抜かれてしまいましたが、昭和の安打製造機として名を馳せ、安打数量に技術力の代表としてトップは間違いなくこの張本さんでした。
スプレー打法”ともいわれた左右広角に打ち分ける技術は、その後の選手たちへにも大きな影響を及ぼしたことでしょうね。
今では”喝ーッ!!!”のおじさんの方が有名でしょうか(笑)。

この特集記事でボクは初めて知ったのですが、右手にハンデ(4さい時にあった火傷のため)があった事を知りませんでした。。



IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (5)
ベストナインは(↑)こんな感じに―。



週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1961年・・・・は昭和36年です。
表紙は中日ドラゴンズ権藤博投手。
IMG_0001週刊プロ野球セパ誕生60年~1961年
ルーキー・イヤーに35勝!!!って(脅威です!!)。。

体つきもズバ抜けて大きな感じもしない権藤投手ですが、
エースとしてのバック・ナンバー”20”が輝いているかの様ですね。

IMG_0001週刊プロ野球セパ誕生60年~1961年 (1) IMG_0001週刊プロ野球セパ誕生60年~1961年 (2)
権藤博:1938年12月2日生まれ。佐賀県出身。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て、1961年中日に入団。この1961年シーズンに35勝19敗、防御率1.70で最多勝、最優秀防御率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得。
連投・・・連投・・・の登板酷使がたたり、’65年に内野手へ転向。しかしながら’68年には短命ながら現役を引退する。
その後、その独自に培った投手理論で若手投手育成に従事し、各球団を投手コーチとして活躍。コーチとして関わったチームは殆どが”投手王国”へと変貌させる手腕を発揮。
1998年には横浜ベイスターズ監督に就任し、監督1年目にしてチームを38年ぶりの日本一へと導いた―。

ホント!この’61年は権藤・・・・権藤・・・ゴンドー・・・ごんどー・・・だったのでしょうね。。

IMG_0001週刊プロ野球セパ誕生60年~1961年 (3) IMG_0001週刊プロ野球セパ誕生60年~1961年 (4)
前号(1960年号)の大毎”ミサイル打線”の主軸、山内和弘選手のクローズ・アップ記事もありました。(左)
打撃フォームの連続分解写真はいいですね~♪
この山内氏も権藤さん同様(?)に現役引退されてから監督、打撃コーチで若手選手への”鬼”の育成で有名でしたね!
落合(現、中日監督)さんも若手時代に山内さんからの指導を受けていらっしゃってましたね。オレ流打撃論で、色々と衝突もあったとか?なかった?とか・・・



(右)写真は、”柳川事件”の背景にあったもの・・・と題された記事です。プロ野球側、アマ野球側との関係”断絶”の一因とされた(らしい・・・)事件背景を追った記事になっています。
過去には球界を揺るがすこんな”事件”もあったのですね。。

この”柳川事件”自体、ボクは詳しく理解してませんが・・・(苦笑)

本記事では”過程で起こった、きっかけの一つに過ぎない。”とありますね。



ボク自身、なぜ?アマとプロとで別々の”集まり”になっているのか?今だに不思議でしょうがありませんけど―。
日本サッカー界の様にひとつの”協会”として”一枚岩”的でない印象が強いんですよね!日本の野球界って~
高校野球然り!各大学リーグやノンプロの実業団然り。プロ野球ももちろん!!同じ”野球”なのに皆がみな、大元となる”組織”が別個にあるって・・・。
それでいて日本の野球人口が少なくもなく、こうして今だ人気(一時代に比べては、かげりはあるのかな・・?)があるって、不思議なんですよね。。
日本人はとにかく”野球”が好き!だということもありましょうか。

WBCで2連覇!!したと言っても日本のプロ・チームに所属する選手や関係者の頑張りは素晴らしいと素直に思えたのでが、”日本野球”の勝利!となると・・・まだまだアメリカの野球組織には追い付いていないのかな??と感じていたりなんです。個人的な印象では―。
いち組織として、組織機能も追い付いていない分、日本人選手がメジャー・リーグに夢を抱いて、その実現のためにわざわざアメリカへ飛んで行ってしまうのかな?と思ったり・・。


アマとプロとで”野球”に対してひとつの目標を定めて頂きたい!と言いますか・・・もっとお互いで交流も深めて欲しいものですね!昔に比べれば大分”異文化”交流(?)も増えていますが。
一つの野球組織で”独立リーグ”らも支えられたら・・・もっと野球の人気もより安定感を感じたり、若い選手の育成や野球そのものの普及にも繋がるんでないかな~?と感じてますよ。


プロ・アマの隔たりは関係なく、今後も日本の野球界全体のより発展を祈願しつつ、多くのファンを満足そして喜んで貰うためにも!!関係者の皆さまには尽力して頑張って!!欲しいものですね~。。


週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1960年(昭和35年)号です。

IMG_0194週刊プロ野球セパ誕生60年~1960年
三原マジック”の文字が躍動しているかの様です。

魔術師”こと三原脩監督です!
1951年に西鉄ライオンズ監督に就任し、56年からの3年連続日本一監督に。60年には大洋監督に就任し、前年度最下位チームを見事!”日本一”へと導きました。
1968年にはこれまた前年まで4年連続低迷を続けていた近鉄バファローズを監督就任後から戦えるチームとして躍進させ、その後来るチーム黄金期の礎をも作る若手選手を輩出させてます。
1971年のヤクルトスワローズ監督時代には、”小さな大打者”として活躍する若き日の若松勉選手の育ての親としても敏腕を奮われていたそうですね。

・監督通算成績:3248試合 1687勝1453敗108分 勝率.537(Aクラス15回、Bクラス12回)
・リーグ優勝6回、日本一4回

昭和の・・・プロ野球史に燦然と輝く大監督のひとりですね!!

IMG_0194週刊プロ野球セパ誕生60年~1960年 (1)
その”三原マジック”によって大洋ホエールズが球団史上初となる日本一を奪取しました!!写真は大洋漁業下関支社前で行われた優勝パレードの模様だそうです☆
(めちゃめちゃレトロな時代を感じさせてくれる(笑)写真ですね~)
※この後、大洋球団(現在の横浜ベイスターズ)が日本一になるまで38年掛かりました―。

三原マジックの真髄は人を見極める能力にあり

”個人の記録ではなく勝つための選手起用”

と書かれてあります。
このときの大洋ホエールズの各選手の活躍、三原脩監督のエピソード記事は興味深いですよ。

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巨人・水原監督 辞任”記事も興味深いものです。
この頃の巨人軍勢力図なんてもあって、これまた面白い♪


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この年に三原大洋と日本一を争ったのが、強力打線を擁する大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズです)。
その強力打線のあだ名が・・・・”ミサイル打線”!!!
そのミサイル打線のメーンキャストでもある4名の写真があるわけです。
榎本喜八(一番右)、山内和弘(右二番目)、田宮謙次郎(左二番目)、葛城隆雄(一番左)




左写真にある”あなたは覚えてますか?”にある写真は、馬場正平投手(巨人)がなんと!プロレス界入りの記事です。あのジャイアント馬場さんです。有名な話ですが、風呂場で転んで左ヒジを負傷し投手を断念・・・。力道山にスカウトされる形で日本プロレスへ入門―。
馬場さん、”東洋の大巨人”として世界的にも活躍されましたよね!

表紙が南海ホークス”下手投げのエース”杉浦忠投手です。

ユニホームを着ている杉浦忠氏となると、ボクの中では80年代中頃の南海ホークス監督時代のベンチでの”微笑ましい”お姿で采配をふるっていた印象しか残っていません・・。

しかも、もうお爺ちゃんの風貌(苦笑)で、以前(この59年当時)の偉大な投手という印象を受けるには、ましてや関東人のボクには想像もちょい難しかった?!
・・・です。

その記憶にある’80年代の南海監督時代はチームは弱かったですし・・・。
本拠地”大阪球場”のスタンドはいつもガラガラ・・・。(今のベイスターズみたい!爆)
で、この輝かしい黄金時代の影も形も無かった・・・です。

IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年
この表紙含め、杉浦投手の活躍を伝える記事内の写真はどれも当時の歴史を感じられますし、(本当!)素晴らしいですし貴重ですよね。
表紙の下手投げ写真は格好イイですよ!

杉浦さんの現役時代の活躍を再認識するにはもってこい!の特集でした。

シーズン38勝”(敗戦は4つだけ)って・・・・す、すごい!!!

IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年 (1)
天覧試合”もこの1959年だったんですね~

つい先日もテレ朝の”報道ステーション”のスポーツ・長島一茂氏の月いちのコーナーで、この”天覧試合”の特集を放送してましたね☆
8回表にあった(阪神タイガースの)”牽制死”を長島サヨナラ弾を生んだターニング・ポイントの一つにされてましたね!


プロ野球ファンとして、現代の”天覧試合”を行って欲しいものです―。

IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年 (2)
”天覧試合”といえば・・・
”ザトペック投法”の村山実投手!
の特集記事もあります。

記事内に”長島vs村山”の対戦写真があります。
マウンド上から気迫ある村山投手の投球で、打席の長島選手はヘルメットが落ちるんでないかの豪快な空振り!
この仕留めたその一瞬の写真は・・・・最高にシビれます!!!


IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年 (3)
”きらめくルーキーたち”の記事で載っていたのが・・・

現在、バラエティ番組出演等々でも”ゆでたまご”をほお張りながら、”ピッチャーやっ!”ツッコミも冴える(?)の若かりし頃の板東英二”投手”!!

中日ドラゴンズの球団史にも燦然と輝く大エースとなる板東さんですよ(笑)。
この1959年には33試合4勝4敗(防御率3.15)と活躍されたそうです。

他にも各球団には錚々たる顔ぶれの選手たちが59年度のルーキーとして記事になっています。
王、張本、村山、巽、江藤慎、桑田武、足立・・・・

前号まででいよいよ1980年代の中盤へと向かう!?のと思いきや、
 1958年(昭和33年)へググっと!!時代を遡っていきました。

IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年

1958年(昭和33年)!!!なんて・・・全くもって想像の付かない時代であります。ザ・ビートルズだって、まだ音楽活動もされてませんよね?!

な、な、なのに!!

神様 仏様 稲尾様”・・・・生きてますね―。

最近でも東北楽天の野村監督が、好投をみせた田中将投手への賛辞にこの”神様・・・仏様・・・~”を引用されてましたっけ。

その稲尾様こと稲尾和久投手が、西鉄ライオンズのエースとして活躍されていた時代背景の一端をこうして観れるのですから、ありがたい話・・・雑誌なのです。

表紙はジャイアンツのエース藤田元司投手とその稲尾和久投手です。信じられないツーショットです。


IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年 (1)

表紙すぐになるページでは、この33年がルーキー・イヤーの長島茂雄vs金田正一
伝説的な語り草になっている長島の4打席4三振!!!!
(す、すっごい。)


IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年 (2)
写真のどれもが貴重と思える様で、さすが!!ベースボール・マガジン社発刊と改めて思います。


IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年 (3)
神様 仏様 稲尾様”を決定付けさせた第9回目となった日本選手権!
の模様も記事となっていますよ。




○和田博実氏死去(元プロ野球西鉄ライオンズ選手)

 和田 博実氏(わだ・ひろみ=元プロ野球西鉄ライオンズ選手)22日午前2時1分、すい臓がんのため福岡市内の病院で死去。72歳。大分県臼杵市出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻貴美子(きみこ)さん。
 大分・臼杵高から1955年に西鉄(現西武)に入団。鉄腕の異名を取った故稲尾和久投手とバッテリーを組み、チームの黄金期を支えた。通算成績は1565試合出場で1104安打100本塁打。
 72年限りで現役を引退した後は、西武や阪神でコーチ、2軍監督などを務めた。(時事通信~2009/06/22)


※今号で特集記事にもなっていた稲尾投手の女房役、和田博実さんがこの22日にお亡くなりになられたとのニュースがありました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。。


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50番トリオ躍動
・・・この1983年号の表紙と巻頭にはそのジャイアンツの背番号50番台にしてチーム期待の同年代3選手(駒田徳広ー50、槙原寛巳ー54、吉村禎章ー55)です。

ボクらの世代(30代後半です・・。)では、この辺りはまだ昨日(?)の様な出来事かもなんですが―。
ボク自身、地元横浜大洋を中心にプロ野球観戦してましたが、55吉村選手は好きなタイプのバットマンでしたね~♪
今の巨人の1塁コーチャーには吉村コーチが立っておられるので、何気に気になっております^^

三人ともに現役を引退されるまで、素晴らしい記憶にも記録にもハッキリと残る活躍をされてましたね。
槙原投手は初登板が完投勝利という離れ技を決めつつ、甲子園ではバース掛布岡田のバックスクリーン3連発を演出しその後に”完全試合”という偉業を記録しましたし、
駒田選手は初打席が満塁ホームランという快挙にしてその後も”満塁男”の異名から確実性も身に付けての2000本安打も達成名球界入りもし、
吉村選手は3割30本塁打と常に安定性高い打撃から近い将来にあるかの三冠王の夢をあの試合中にあった事故によって脚をも砕いてしまって・・・長い孤独な時間と努力と根性から奇跡の大復活を成し遂げたときはボクも思わず涙が・・・。
その後にチームⅤ殊勲打がサヨナラ弾だとかもありましたっけ。

現在の3人がそれぞれでまだまだ野球界に尽力をされているのが、これまたすごいんですよね。


IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (2)
現在のジャイアンツには”2番センター松本”なんて育成選手上がりの若い選手が頑張ってますよね!”平成の青い稲妻”(?)なんて応援もちらほら・・・。
今号には”元祖”!?の”青い稲妻”こと松本匡史選手の当時の盗塁シーズン最多記録(セ・リーグ)の記事が載ってますね!今でいう所の阪神赤星選手の様な足のスペシャリストでしたね。
この松本選手の活躍を支えた”つなぎのユニホーム”(滑り込むと土が入るので、それ防止にユニホームの上下がくっついている。)も話題になりました。

青い稲妻”!!!う~ん・・・絶妙にニクイほどセンスも格好も良いニックネームです。

♪ラララ、光よりも速く~青い~イナ~ズマ~。。。(って当時の応援歌だった様な・・苦笑)

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (3)
充実した選手層によって圧倒的な強戦力を誇るジャイアンツに対抗したのが若き獅子軍団が目覚め始めた新生西武ライオンズでした。

”藤田G対広岡L”というセ・パの覇権頂上決戦は、お互いのそしてこれからの野球界に誇る”盟主”としてのプライドを懸けた好試合ばかりでした。
素晴らしい日本シリーズとして、今でもファンでは語り草になっている事でしょう!!
ボクもとにかく印象に残っている日本シリーズがこの’83年なんです。

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (4)
甲子園での”大ちゃんフィーバー”の主役、荒木大輔投手(早実高ーヤクルト)のルーキー・イヤーがこの1983年でしたか!
初先発初勝利のときのエピソーゾ記事・写真ですね。

現在は荒木投手コーチとしてライオンズ投手陣を支えてますね!この初勝利の時に荒木投手からマウンドを引き継いだのが当時、先発から抑えに大車輪の活躍を魅せていたヤクルトのエース尾花高夫投手(現ジャイアンツの投手コーチ)というのも、時代を感じさせますね~。

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (1)
現在のプロ野球の背番号で「0」ゼロ番を付けている選手なんて、どの球団・チームにも所属してますが、いわゆる”元祖”はこの長嶋清幸選手(広島東洋カープ)でしたね☆
この長嶋選手「66」番から一桁台を切望しつつも都合のよい空番もなく、前年(’82年)にメジャー、首位打者にもなったエクスポズのアル・オリバー選手が「0」を付けていたのを知って当時の古葉監督に打診したとか・・。

丁度この頃のカープのキャッチ・フレーズに”ゼロからのスタート”というのもこの背番号「0」誕生を後押ししたそうな・・。

この「0」は長嶋選手の活躍とともに球界でも流行って、その後も川相選手(巨)らも若き頃は付けてましたね。石井琢朗選手(現、広島)も若き日の横浜大洋、”忠徳”時代には「0」も付けてました。

今では「0」番なん珍しくもないほどに”定着”しつつ、「00」番を付けている選手もいますね。



※いよいよ今号で発刊から10号目になりました。
10号連続購読キャンペーンというのがあって、(毎号付いてた)応募シールを10枚分貼って送付すると専用カード・アルバムが必ずくれるそうで~

早速?いずれ?(笑)送ってみたいと思います―。

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