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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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○生え抜き”戦士”はチームを愛しファンからも愛されるこれぞ”誠愛”!

この2009年4月に”連続7試合連続二塁打出塁”記録の日本新記録を打ち立てた事で話題にもなった北海道日本ハムファイターズ所属のベテラン内野手、金子誠選手です。
プロ新7試合連続二塁打 かねこまこと

なんと言っても!その堅実で安定したしかも献身的な守備力が魅力的で、それと同時にチーム牽引する”チーム生え抜きベテラン”としての姿勢に個人的にも好感を持っていますね。
下のなまえの漢字が同じ!という・・・ただそれだけでどこか(勝手な)親近感もあったりなんですよ(苦笑)。



’80、’90年代以降からの日本ハム内野陣では、545回の守備機会連続無失策記録(二塁手として)を立てた白井一幸氏、2009WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本代表内野守備走塁コーチを務めた他、そのコーチング定評さから各球団のコーチを務めその度に若手内野選手を一人前へと育ててもいる高代延博(日ハム時代は”慎也”で登録も)氏、史上35人目の2000本安打をも達成し守備力にも打撃力にも定評の高かった田中幸雄氏、チーム主将となり堅実な守備力、また引退後のタレント性でもその個性を発揮されていた広瀬哲朗氏、西武ライオンズから移籍し、当時の”ビックバン打線”でも名脇役として活躍、もちろんその守備力は当時でも屈指の巧さを誇った奈良原浩氏・・・・と今振り返れば、日本ハムの内野(主に二遊間タイプ)選手は球界をも代表する名選手の存在が多かった!ですね。

そんな偉大なる”先輩”選手たちの血や肉をそのまま継承し、現在のチーム・選手に伝えているのがこの金子誠選手でょうかね。


常総学院高の3年生時に甲子園大会でベスト4進出を。全日本メンバーに選ばれオランダ遠征参加も経験する。1993年のドラフト3位指名を受け日本ハムファイターズに入団。現在の背番号は8ですが、当初は”30”番でした。
その入団時の評価ですが、”遠投110mの強肩と100mを11秒で駆け抜ける俊足”が、高校生卒選手の中でもナンバー1の評価だったそうです!
また当時の選手名鑑本では、”偏差値70以上の頭脳明せきでレベルの高いプレーをみせてくれるはず!”なんても明記もされていました。

入団1年目から春(名護)キャンプへも抜擢参加するという首脳陣からの期待も高くされていたわけです。(1年目の1軍出場はなし。)
プロ入り3年目となる1996年に二塁手としてレギュラーを確保!する。
打撃ではその年のリーグ最多となる”38犠打”を記録し、”新人王”のタイトルも獲得。
それ以降、ファイターズ不動の”内野守備の要”役として、1998年、翌’99年には2年連続での”ゴールデングラブ賞”を受賞します。
※1997年~2001年までの5年間連続で”守備率のリーグ1位”のパ・リーグのタイ記録を。

2002年、チーム事情からそれまでのセカンドから遊撃(ショート)へコンバート。さらにFAを行使(阪神へ移籍)した片岡篤史選手が着けていた背番号”8”を継承。
2004年には日本代表として五輪に出場。
2005年シーズンでは、開幕を2軍スタートという屈辱と、出場79試合、230打席、50安打の打率.240と不振を極めたのですが、’06年にはチーム選手会長へ就任。チームの25年ぶりリーグ優勝と44年ぶりとなる日本一に貢献!シリーズ5戦目で同点スクイズを決めるなど、その存在感を改めて認識させました。

昨季の’08年シーズンは故障と不調も相まって、不本意な数字(成績)だったのでしょうが、本2009年に見事に復活の手応えもありなのでしょうか!?2009年4月15日(札幌ドーム、対オリックス・バファローズ戦)で、日本プロ野球新記録となる”7試合連続二塁打”を放ちさらに打撃も好調―。

「こんな記録は知らないし、王さんは7試合連続で本塁打。二塁打の新記録といっても“そりゃ、なんだ”って感じだよ」。球史に名前を刻んでこの憎まれ口。それも金子誠らしかった。(スポーツ報知より)





金子誠(かねこまこと)
1975年11月8日生 右投右打
千葉県出身 常総学院ー日本ハムファイターズ(1993年ドラ3位入団)
通算成績(2008年シーズンまで):1533試合、5022打数、1284安打、203二塁打、62本塁打、475打点、104盗塁、222犠打、404四死球、811三振、打率.256
主なタイトル(2008年シーズンまで):最優秀新人(1996年/打率.261 本塁打4)、最多犠打(1996年)、ベストナイン1回(1999年~セカンド)、ゴールデングラブ賞2回(1998年、1999年どちらもセカンド)、オールスターゲーム出場2回(2002年、2004年)、東京ドームMVP賞1回(1996年)、リーグ月間MVP(2009年4月)
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今週号は”1978年”(昭和53年)です。
この年の大事件!!と言うよりは・・・プロ野球ドラフト史上稀にみる空前絶後!?の”江川事件”(あるいは”江川問題”)の当事者、江川卓投手のプロ入りまで紆余曲折のあった入団記者会見時の写真が表紙になっておりますね。
IMG_0173週刊プロ野球セパ誕生60年~1978年

その”江川事件”(江川問題)あるいは”空白の一日”については”ウィキペディア”に詳細がありますので、気になる方、確認されたい方はそちらをどうぞ!


今号のほかの記事で、個人的に注目したのが、

ヤクルトが球団創立29年目の初優勝

です。当時の監督はあの!広岡達朗氏、さらに作戦コーチには森昌彦(現、祇晶)氏のその後の野球界(特にパ・リーグの西武ライオンズにて)の常識を覆すかの”管理野球”革命を具現化させ常勝軍団化させた名コンビ。
その二人の礎がこのヤクルトで発揮されていましたね。

そんな当時のヤクルトの優勝に貢献した、”エース”松岡弘、”安打製造機”若松勉”、”フル回転の左腕エース”安田猛・・・それぞれの写真、エピソードらの記事は楽しめました―。
特別に記事にはなっておりませんが・・・この時の正捕手は現横浜ベイスターズの大矢明彦(監督)です。

中記事では、若松さんの打撃フォームをインパクトまでの連続写真やそのプロ人生と活躍を綴った特集ページもあります!これは必見でしょう。


さらに・・・
この1978年の・・・

8月31日、史上14人目の完全試合”を達成させた今井雄太郎投手(阪急ブレーブス)の記事も興味深いです。
その当時のエピソードを現在の今井雄太郎氏が語っておりました。


さらにさらに・・・

前号では川崎大洋ホエールズが横浜市への本拠地の移転記事もありましたが、今号では、クラウンライターを買収した西武グループが埼玉県を本拠地とした新チーム設立(もちろん!現在の西武ライオンズ)前夜と言えそうな当時の写真・記事も興味深いですよ。


”男の武器”と題された、実際に使用されていた道具の原寸大写真の記事では、

江川卓小林繁という因縁!?の両投手のグラブです。小林投手の独特な投法は当時、誰もが(?)モノマネしましたね~♪巨人時代でのグラブは茶色、阪神時代では黒色にされたそうですよ。


来週号は”1979年”だそうです。

表紙はこれまでのプロ野球界の話題でもとくに印象の深い、
”756号(世界新)ホームランを放ってのバンザイをする王貞治選手”
です!
IMG_0208週刊プロ野球セパ60年4号
この当時の熱狂がまるでそのまま伝わってくるかの写真がふんだんに使われています。どの王選手も格好良いですね~♪
まさに・・・”背番号ぉ~「1」のぉ~凄いヤツぅ~が相手ぇ~ッ!!♪
ですね。

”756”までの”カウント10”として、746~756本までの詳細な裏舞台情報が記載されていました。ホームランを被弾した投手のコメントもそれぞれ載っているので、面白いですね!

ボクは当時5,6歳の子どもだったのですが、王選手は一番最初に覚え好きになったプロ野球選手だったと思います。
と言っても野球選手が一体何だったのか???も知らない程度でしたけども。

名前が”王”(おう)で記録上でもホームランを打つ!”ホームラン王”で、背番号も”1”でナンバー・ワン!!子どもにも覚えやすかったですものね~♪

それでも(当時も)みんな、子どもはあのフラミンゴの”1本足打法”を真似しました~
おやつの”ナボナ”も好きでしたぁー
印刷だとは思いますが、”手形入りのサイン色紙”も家にありました。


子ども心にも”夢を与えて、プロ野球の楽しさも伝えてくれていた”!
.....やっぱり王選手は凄い!!!!!ですよ~



他の特集記事では・・・
IMG_0210週刊プロ野球セパ60年4号
近鉄バファローズのエース鈴木啓示投手の(ドラフト制後から初)200勝達成記事、佐野仙好選手(阪神タイガース)の”外野フェンスに激突で大ケガ!”によって、物議をも醸したルール上にある問題の記事も興味深かったですよ。

南海ホークス監督を退いた野村克也監督の記事も・・・・当時も今も?サッチーの存在感は躍っているかな??(苦笑)



IMG_0209週刊プロ野球セパ60年4号
丁度、この頃に大洋ホエールズが、本拠地を川市から横浜市へと移転するきっかけの年だったのですね~
写真の野球場がこの頃、建設中であった”横浜スタジアム”です。
この移転や球界再編(の思惑?が功を奏していたら・・・)を機にもしかしたら?横浜西武ホエールズ??か、横浜ロッテオリオンズ??になっていたかも~ですね・・・。


付録の”レジェンド・ベースボール・カード”の有藤・星野の写真はこれまた格好良いんですよ=

○”横浜開港150周年特別ゲーム”も”仁志ショック”発令?で敗戦・・・
IMG_01692009年4月22日 IMG_0206勝利のハイタッチ広島
2009年4月22日(火)横浜、18:01、16948人)
横浜-広島 4回戦
広島200 100 101=5
横浜001 020 100=4


【投手】
(広)大竹、梅津、シュルツ、永川-石原
(横)寺原、山口、石井-野口

【責任投手】
(勝)シュルツ8試合1勝
(S)永川7試合2敗5S
(敗)石井7試合1敗4S

【本塁打】
(広)赤松2号ソロ(9回、石井)
(横)なし

【戦評】
 広島は4-4の九回、赤松が左越えに勝ち越し本塁打を放ち、連敗を4で止めた。一回に失策絡みで2点を先制し、毎回の14安打を放ったが拙攻続きで接戦に持ち込まれた。横浜は粘ったが、復帰初戦の村田が好機に凡退した。(サンスポ


※ついに揃った!ニュー・マシンガン打線(?)
IMG_0165スタメン
IMG_01783番うちかわ IMG_01714番むらた IMG_01885番じょんそん IMG_01726番よしむら
この日は大したことも無かったのですが、”新マシンガン炸裂ッー☆”を大いに期待させてくれる打線の顔ぶれなのです。
左から”内川ー村田ージョンソンー吉村”です。

IMG_0189大竹・石原 IMG_0176栗原 IMG_0174東出
今日のこの試合、ベイ寺原vsカープ大竹の豪球右腕対決だったのですが、どちらの投手もどこかピリッ!としないのか、バックの守備も”もたついて”足を引っ張ったり・・・
要所要所の場面では持ち味も出せなかった様子!の印象でした。
両チームの(内野)失策がとにかく目立った!!
ベイの”捕逸”(キャッチャーのエラー)は勘弁して欲しいなぁ・・・。この所、毎度観ていますし、いい加減に飽きました!これやられると、球場スタンド内のムードも険悪ピリピリになるんですよね。

寺原投手は初回の1番東出選手にいきなりの内野安打が・・・今思えば勿体なかったのかも(?)。立ち上がりのペースを掴めずままにの失点が、ボディーブローの様に後々にも効いて、自分の投球の幅をもうまい事、拡げられなかった様子―。
球威は抜群(に観えたので・・)と思えたので、残念な登板機会でした!・・・また次回☆



※男・村田が復帰しました!と広島色に染まった石井琢がハマスタに帰ってきたよ!!

○無安打も楽しんだ横浜・村田
 WBCでの右脚肉離れから「4番・三塁」で復帰した横浜の村田は4打数無安打。快音は聞かれなかったが「久しぶりの1軍の試合で楽しかった」と振り返った。
 3回は2死満塁、5回は2死二塁の好機で三振、二ゴロに倒れた。「ああいうところでかえせるようにしないと。(1軍に)上がってそう簡単には打てないよ」と話した。守備ではゴロに横っ跳びするなど「動きは問題ない」。不在の間にチームは最下位となっているが「これから追い越していくだけ。またあしたから」と気合を入れ直していた。(共同通信)


IMG_0183.jpg IMG_0184.jpg
※(自分的にも)ベイ・ファンの誰しもが、この復帰を待ちわびていたのが、”4番・・・サード・・・むらた”のコールの後の大歓声でよく分かりました♪この”男”が打席に立つともう~!!球場の空気が変わるんですよ~。特に今日はランナーを置いた得点・殊勲のチャンス場面で打順が回ってきた回数も多々あったので、村田選手もファンも過度な期待感もヒート・アップし過ぎたのかしら―。

1軍クラスの投手と当たったのは、故障明けから今日が初ですし・・・。そうは簡単に”生きた球”を打ち返すには困難もあったかと~。打席内で自分に気持ちを抑えるのも難しかったかも?と想像します―。
エラー(記録にはならなかったのかな?)もありましたし(笑)、、、
それでも凡ゴロでは、1塁までよく走っていましたし!守備機会でも今まで通りの動きでしたし!!完全復帰もそう遠くも無いのでしょうね☆(大いに期待してますょ☆)


・・・そして、本日一番の盛り上がりが・・・
25石井琢朗選手のハマスタ凱旋でしょうか♪
IMG_0193広島タクロー登場 IMG_0194広島タクロー登場
6回に代打で登場~♪
打席へ着く時は、3塁~レフト、1塁~ライトの球場の全体から、拍手・・・拍手・・・拍手!!
マウンドの寺原投手が投げ難いかも?と思えるほどの、あのタクロー応援歌が両サイドから流れまさに”サラウンド応援”♪如何に!!ヨコハマで愛されていた選手であったと言うのがはっきりとするそのタクロー色になるハマスタ。
凡ゴロでギリギリに1塁でアウトになるタクロー選手で、塁審に文句でも抗議でも言うのか?と思いきやっ!?やっぱや~めた!的にスグにベンチへ。その間もとにかく拍手と声援は凄かったですね。
IMG_0195広島タクロー登場 IMG_0196広島タクロー登場
ベンチへ下がってすぐにベンチ裏へと消えて行きましたが・・・きっと彼は感動でウルウルされていたかとも・・・想像していました。
なんか、、、イイ風景で~良かったなぁ~。

まだまだ、グラウンドで頑張ってほしい選手の一人ですね~



IMG_0192タイムリー・ヒットに大歓声 IMG_0204三振で悔しがるうちかわ
↑左は内川選手のタイムリーが発動中!で盛り上がる♪と、右は9回ウラ永川投手に抑えられてしまい(三振を喫した)悔しがる内川選手。本日の最後のバッターでした。


IMG_0203抑えは永川 IMG_0202代打で登場、きんじょう IMG_01971番いしかわ






○横浜・仁志、引退報道を否定”報道先行”

 打撃不振で2軍調整となった横浜の仁志内野手は22日、一部で「引退決意」と報じられた件に関し”報道先行。今はそこまで考えてない”と否定した。
報道では、21日に球団幹部に意向を伝えたとされたが”村上(チーム運営部門統括)さんが気を使ってくれ、今後の練習方法などを話しただけ”と説明した。
まだ(現役で)やるのか?との問いには、
球団からいらないと言われれば仕方ないが、必要ということなので”と返した。
 1軍に復帰するには、開幕から12試合でわずか4安打、打率1割8厘と振るわない打撃の立て直しがポイント。”こうしてもらった時間を有効に使う”と話した。(サンスポ)


※無きにしろあらず・・・?なのか、全くのデマ?なのか・・・。よくは分かりませんが、とにかくシーズン最期まではチームのために持っているチカラを真っ当に尽力させてくださいませ!
まだまだ”7仁志敏久”を応援したいですからね☆





2009年観戦
5試合 1勝4敗(観戦、防御率:6.60=自責失点33)
※この防御率数字は個人で観戦したときのチーム(投手陣)防御率デス。
○ガッツ溢れるプレーが真骨頂のマシガンン打線の赤き突貫弾道小僧!

現役時代その小柄な体格から発せられるガッツなプレーが信条でもあった波留敏夫選手です。
この波留選手、1990年後半の横浜ベイスターズの躍進には欠かせられない名バイプレーヤー(脇役的)であって、石井琢朗選手(’09年広島)とともに当時(特に1997、98年頃)の野球界では最強の1・2番コンビとして他球団から恐れ称えられてもいました。その期間は短かったのですが・・・。

1993年にドラフト2位で横浜ベイスターズへ入団。90年代初めに僅かながら期間ながら野球界で活躍をされ人気も話題もあった佐藤和弘(パンチ佐藤)氏と同じ熊谷組の出身という事もあってか、イメージ的にはどこかゴツゴツとした野生的(?)な印象をこの波留選手にも(個人的ですが)感じておりました。

IMG_0148はる

入団当初は内野(遊撃手)を任されていたのですが、その俊敏さある走力、地肩の強さを買われ、すぐに外野へとコンバート。その都市対抗でも強さを誇っていた当時の熊谷組での鍛え方もよかったのか、入団1年目(’94年)に53試合に出場。
翌’95年には”センター波留”として固定され、走攻守にその闘争心溢れるダイナミックなプレー・スタイルが1番打者としての適役にもなり、チームを1回の攻撃から先導させる様な活躍をも魅せていくようになりました。
この頃から”あ・うんの呼吸”、さらには”いやらしさとしつこさ”のある石井琢との1,2番コンビで、その後を打つクリーンナップへの見事な橋渡し役としてチーム得点力のアップへと貢献!(今でいう所の中日”アラバタ”荒木・井端のコンビと似ている状態とでも言いましょうか・・。)


横浜ベイスターズにとっては、投手陣も野手陣も整備されつつあって、いよいよ念願のリーグ優勝へと目された1997年シーズン中ではダイビング・キャッチを試みた際による顔面強打によるケガをし、また、オフ頃には(プロ野球選手数名による)”脱税事件”への関与も発覚し、翌1998年シーズンの開幕からその制裁のための”6週間の出場停止処分”を受けることとなりました。

’97年の成績で、”127試合、148安打、41打点、盗塁16、犠打23、打率が.295”という好成績で翌年の’98年にはさらなる高い成績と貢献度のアップへの期待も大きかっただけに、この事件そして制裁はファンを不安・心配へとさせました。
復帰した波留選手ですが、それまでのその不安を払拭させるかの奮起を魅せ、自己成績的には前年より下回る結果でしたが、2番打者としてまたセンターとしても存在感を発揮しチームのリーグ優勝、さらには日本一への原動力の一人として活躍しました。


その小柄の体型、背番号も”2”と小さながらも、そのド派手な印象がある活躍を魅せたのが、その1998年シーズンの7月15日の対巨人戦。場所は満員地元ハマスタ―。
3回を終わって、7対1という超劣勢の一般的なら負けムード・・・。
しかし、当時の”横浜マシンガン打線”は一旦導火線に点火されると、どこまでも撃ち続けるかの連打連打の強力打線☆
4回ウラに一挙5点を入れ、7対6と追い上げ必至ムード。
そんな中でも巨人は7回表に2点追加、ベイスターズも同じくウラに3点を加えこれで同点!!
まさかの8回表には3得点の巨人に続いてのウラのベイスターズも3得点!暑い暑い7月に球場内もお互いの打線が譲らない超絶乱打戦。(横12-12巨)
9回表を何とか0に抑え、ウラの攻撃にサヨナラという絶好のチャンスに巡って来た波留選手の打棒がセンターオーバー(サヨナラ)ヒットを呼んで、この劇的でもありこの球史に残るとも呼ばれた超乱打戦への終止符を打ったのがこの波留選手でした。
球場が歓声と悲鳴とだかのゴチャゴチャの音色の中で、赤い色手袋とサポーターの両腕でガッツポーズされていたのはとにかく印象深かったのでした―




そんな波留選手ですが、1999年シーズンは自己成績での現役最高の数字を残しました。が、2000年には不本意な形での60試合出場だけに留まり、2001年シーズン途中に中日ドラゴンズとのトレード話もまとまり、種田らとの交換トレードも成立に。
中日時代でも90年代の横浜ベイ時代のパフォーマンスを発揮できずに2003年には千葉ロッテマリーンズへ移籍。ロッテ時代も短命に終わり、2004年シーズンを最期に現役を引退―。

解説者等々の活躍から2006年には古巣ベイスターズに(守備走塁)コーチとして復帰。チーム事情もありながら打撃コーチにも就いたり、2009年からは再び(外野)守備走塁コーチとして、1塁コーチャーとしても活躍中!



波留敏夫(はるとしお)
1970年5月25日生 右投右打 外野手
京都府出身 京都大谷高ー熊谷組ー横浜ベイスターズ(1993年ドラ2位入団)ー中日ドラゴンズ(2001~’02年)ー千葉ロッテマリーンズ(2003~’04年引退)
通算成績:913試合、3138打数、872安打、150二塁打、44本塁打、266打点、76盗塁、103犠打、275四死球、476三振、打率.278
主なタイトル:月間MVP受賞1回(1998年7月) 、オールスター・ゲーム出場1回(1997年)

○頭部死球によって選手寿命をも危ぶまれた阪急の”トリプル・スリー”
阪急みのだ

トリプル・スリー”(打率3割以上、本塁打30本以上、盗塁30個以上を1シーズン同時にクリアーされた成績への称号。)というのがあります。
要は野手として打撃部門で”打って良し!走って良し!”の総合的なバランスが高くあって、その優れた能力を発揮させた者だけによって、クリアーされるだろうの数字な訳ですが・・・。

現在(2008年)までに、岩本義行(’50年、松竹ロビンス)、別当薫(’50年、毎日オリオンズ)、中西太(’53年、西鉄ライオンズ)、秋山幸二(’89年、西武ライオンズ)、野村謙二郎(’95年、広島東洋カープ)、金本知憲(’00年、広島東洋カープ)、松井稼頭央(’02年、西武ライオンズ)と、この長~い日本球界史にあっても、わずか数名だけにしか記録されていない!!言わば貴重で価値感も高い珍しい記録とでも呼べましょうか?!

今回の簑田浩二選手ですが、1983年(阪急ブレーブス在籍時)に、”打率.312、本塁打32、盗塁35” という文句なしの成績で、見事!’53年の中西太選手(当時)以来の実に30年ぶりとなる”トリプル・スリー”を達成させた選手であって、70年代後半~80年代中頃までのパ・リーグを代表する名外野手でありました。

社会人野球の”三菱重工三原”在籍の1972年に一度、南海ホークスからドラフト4位での指名を受けますが、これを拒否。1975年のドラフト2位指名により晴れて阪急ブレーブスに入団。
この頃の阪急はリーグを代表するまさに”勇者”のような強者チームでした。
各ポジションではレギュラーはほぼ固定されている状態!ながらも、入団2年目となる1977年に86試合に出場(130試合制)し打率2割7分を記録。

翌’78年には、それまでの1番福本豊とコンビを組んでいた大熊忠義に代わり、2番レフトのポジションを獲得。その期待にも応え、125試合出場し打率も3割を越え(3割7厘)、しかもその俊足を活かした結果、盗塁は61個と名実ともにまさに大飛躍の年になりました。この年にゴールデングラブ賞(この年から8年連続へ)も獲得しています。
当時、黄金時代でもあった阪急はリーグを代表する鉄壁の外野陣も擁していましたが、その一角に簑田選手は充分な存在感をも顕すようになっていました。


1980年から背番号も”1”となりチームの中心選手へとなり、またそれまでのレフトからポジションをライトへと固定され、その俊足を活かした広い守備範囲に強肩は相手チームへの脅威になっていました。
そして、1983年に当時3人目となる”トリプル・スリー”の偉業を達成させ、知名度も全国区へさらにアピール!この頃は長打力も安定し、リーグを代表するクリーンナップ打者となって、これからの成績や人気をも不動にとしようか?といった期待された中での1986年シーズン中に”頭部へのデッドボール”を受け、その後遺症もあってか、あの鋭く攻撃的かつ巧みなスイングや打球は影を潜めるようになってしまい、当時の阪急のチーム事情(若手選手起用への転換期)もあってか、1988年には巨人へ移籍(金銭トレード)になります。

移籍してからは主に右の代打、あるいは繋ぎ役に徹したバッティングで、その当時のジャイアンツ若手選手へのよいお手本選手となりながらも、1990年に現役を引退―。

これまでの野球界、期待されながらもあの死球が無かったら・・・・の選手は沢山いますが、この簑田選手も必ずその”あの死球が~”に名前が挙がってくる名選手であったことは間違いありませんでしょう!!

引退後は、現役時代からその洋風俳優的な顔立ちの人気もあってか、テレビ野球解説者としてもまた打撃コーチ(補佐)や守備・走塁コーチにも就き、やはり若い選手への生きた素晴らしい教科書として選手育成に活躍。
マスター・リーグへの参加等でも活躍されているそうですね。



簑田浩二(みのだこうじ)
1952年3月11日生 右投右打 外野手
広島県出身 大竹高ー三菱重工三原ー阪急ブレーブス(1975年ドラ2位入団)ー読売ジャイアンツ(1988~90年引退)
通算成績:1420試合、4604打数、1286安打、212二塁打、204本塁打、678打点、250盗塁、139犠打、621四死球、588三振、打率.279
主なタイトル:ベストナイン(1978年、1983年、1984年~外野手で)、ゴールデングラブ賞(1978~85年=8シーズン連続)、オールスター・ゲーム出場(1978年、1983~85年)、オールスター最優秀選手賞(1978年第2戦、1984年第1戦)、トリプル・スリー(1983年)達成

○先発3枚目、小林投手の好投が呼んだ!?若ベイ衆たちの活躍!!
IMG_0164大矢監督喜びハイタッチ IMG_0148暑かったねぇ~・・
2009年4月19日(日)横浜、13:30、24491人
横浜-阪神 3回戦
阪神000 100 010=2
横浜010 012 00X=4


【投手】
(神)福原、渡辺、阿部、江草-狩野
(横)小林、真田、山口、石井-細山田、野口

【責任投手】
(勝)小林3試合1勝1敗
(S)石井6試合4S
(敗)福原3試合2敗

【本塁打】
(神)鳥谷2号ソロ(8回、山口)
(横)内川1号ソロ(5回、福原)

【戦評】
 横浜は二回、けがから復帰のジョンソンの二塁打を足場に藤田の適時打で先制。五回は内川が1号ソロ。六回は石川が2点三塁打。6回1失点の小林が初勝利。阪神は四回無死満塁で暴投の1点のみだったのが響き、3連勝でストップ。(サンスポ






IMG_0143先発で好投を魅せたこばやし IMG_0145先発ふくはら IMG_0146先制タイムリーだよ!ふじた
先発のベイ小林太志投手は観るからに好調~♪の様でした。ストレートの球速も145、6~149km/h(150キロも出てたのかな??)と初回から”飛ばしている”様な。変化球も低目へ決まっていたんじゃないのかな(?)。外野からの観戦でしたが、安心して観れました!
金本選手が打席にいるときは心配だったけど、踏ん張ってたよ~

逆に阪神、福原投手は調子は悪そうでした。案の定、ベイ打線も付いて行けたかな?初回に満塁にしても無得点で終わったときは、これまで通りの印象で、”きょうも負け試合???”なんても思いましたが、それを払拭したのが、先発二塁手の藤田一也選手(写真右)の先制タイムリ~☆
嬉しかったなぁ~^^ 彼はこのシーズン、1軍で頑張って欲しい!!と思っている若い衆のひとり。もっと個性、味わいが出てきてくれると起用頻度も増えるでしょうね!

小林投手は結局、”勝ち投手”に―。
彼の投げる試合の観戦はあったのか?なかったのか??”勝利投手”になったのだから、これも嬉しい結果でしたよ~

この試合での”エキサイティングプレイヤー”(ヤフーのスポーツ・サイト)にも選ばれていた6回ウラ、石川雄洋選手の”タイムリー3塁打”も相手の追い上げムードに水をさすかのごとくで、イイ追加点でしたよ。
”スリー・ベース・ヒット”って塁上をとにかく走っているもんだから、盛り上がる!盛り上がるッ!!(笑)
この3塁打を呼び込んだのが、二人のルーキーでした!
(この試合スタメン・マスク)細山田武史捕手の内野安打(1塁にヘッスラで出塁!)と代打で登場の松本啓二朗選手の追い込まれながらも粘って叩いた巧打光る安打出塁もよかった!!


もちろん内川聖一選手のホームラン!!!もスタンドが沸きました~♪(あのカ~ブは打ってください!球だったね・・。)

IMG_0160ハマスタのレッドスター軍団? IMG_0152盛り上がれぇーライトスタンド☆ IMG_01581塁線
※”ヤフーお天気”情報だと昼頃の気温は”21度”だったらしい~・・・・
日射が強く、日に焼けました☆(・・・あちぃ・・。)
日陰で風の当たるところは涼しかったんだけどね。
球場内はとにかく暑かった―。

応援するファンも”熱かった”ね~☆
ハマスタに出現してたよ!赤星選手の”レッド・スター”のプラカードを持って応援されてる軍団(?)。その数、異常ぉ~(苦笑)。

ベイにとっては(当然!)地元ハマスタですが、この阪神タイガース戦においては、もはや阪神”横浜”甲子園スタジアム状態なんですよ!ベイ営業の人にしてみれば阪神さま、さま~なんだろうけど・・・。

交流戦で観る、千葉ロッテマリーンズとこのタイガースの応援は(本当!!)に”あ・つ・い”!!

IMG_0153ただいまのプレーについてのご説明です! IMG_0154ピンチを防いだ好投やまぐち IMG_0159新守護神いしい登場
(左)攻める阪神、守るベイの場面で事件が勃発!
”~え~・・・2塁々審の○×ですが、ただいまのプレーについてご説明しますっ!守備妨害でアウト!です!!”(阪神ファンからのブー♪ブー♪の大合唱ッ~)の写真です。
何てことはない!2塁へ進塁しようとしてたランナーとセカンドゴロの捕球体勢に入っていたベイの二塁手(藤田一也選手)との交錯・衝突したための説明でした。

(真ん中、右)は、最近のべイスターズの必勝☆パターン!!!セットアッパー山口俊投手とクローザー石井裕也投手の揃い踏み~♪昨季のベイと違うところはこの二人の安定感に寄るところが大きいですね。
いずれ打たれだす?だろうから・・・その時、その後にどう対応・対処されるかが・・・二人に一番の問題でしょうか。
ダメなとき、ダメなりに抑えてくれる様だと信頼感もググッとアップするよね~♪

とにかく二人のこの存在感はチームとって大きいのです―。

(追記)

※危ない!阪神・鳥谷の一発が売り子直撃!!
(セ・リーグ、横浜4-2阪神、3回戦、阪神2勝1敗、19日、横浜)阪神・鳥谷敬内野手(27)が、八回に2号ソロ。右翼スタンド最前列のビールの売り子を直撃した。
 弾丸と化したライナーが、横浜ファンで埋まった右翼席へ一直線に飛び込み、歓声と悲鳴が交錯した。3点を追う八回無死。鳥谷が、フルカウントから山口の速球をとらえた。反撃の2号ソロ。そして、思わぬアクシデントが起こった。
 打球が、ちょうど右翼席最前列にいたビールの売り子の右ほおを、直撃したのだ。その場で、バタリと倒れ込む女性。横浜ファンも心配そうに駆け寄った。周囲には缶ビールが散乱し、飛び散った中には、グラウンドまで落ちるものもあった。右翼席が、凍りついた。

”全然わからなかったんですが、ベンチに戻ったら、人に当たったみたいだと言われました。心配ですね…。大事に至ってないことを、祈るしかないです。”(鳥谷選手談)

 鳥谷も、表情を曇らせた。打球については、打者はどうしようもないが、心配せずにはいられない。幸い、病院に向かった女性は、自分の足で帰宅するなど大事には至っていないもよう。それでも、凶器ともいえる硬球が顔に当たるのは、大変危険なことだ。(サンスポより)


※このブログ記事のタイトルで”衝撃の一打”はまさにこれのことでして・・・。
自分もその直撃の瞬間をもろ観てしまったので、わざわざ記事にすることもないのかな(?)と躊躇な想いもありつつでしたが、サンスポ(ネット)に掲載されてあったので、記録残しという意味もありつつで、添付(一部抜粋のコピペです。)させて頂きました。

自身これまでの観戦でも、何度か硬式球に当てられる現場には遭遇していましたが、今回のは顔面直撃でしたから、遠目でしたが、本当にビックリ!!でしたよ。
運悪く当たってしまった(売り子)子の無事と快復とを祈るばかりです―。

今の野球場はどこも内野グラウンドと観客席との差をできるだけ無くす努力をされていますよね。いわゆる”エキサイティング・シート”と呼ばれる席(各球場によって呼び名が違いますが・・)。
選手のプレーも接近して迫力も以前に比べて段違いにあるでしょうし、フェンスも無いのでとても観やすく利点も多々あります!
が、やはり硬式球!!一歩間違えれば大変キケンな物体ですものね。
(お互い)ボールの行方には、とにかく!!気を付けたいものですね・・・。

※一概には言えませんが、右打席の打者のときは1塁側の席が、また左打席の打者のときは1塁側へ強烈な打球が飛んで行くような。ファウルでカットした打球の勢いはライナー性で結構危ないです!
チケにも記載されているかと思いますが、ボールが当たっても簡単な治療や手当て程度で、あとの責任はこちらの自己責任的になると思うので、痛い思いをするならスグに逃げた方がいいのでしょうね!自分的にも席に付いたら逃げ場をどちらかにするか決めておきます。左か?右か?無理なら丸くなるのか??をです。
今回の売り子さんは丁度、運も悪くビール?だかを販売最中でのボールの行方を観れていなかった!ので・・・本当に不幸な事故で可哀想でした―。


IMG_0162.jpg IMG_0165ヒーローインタビュー IMG_0166ボール捕ったよ!
ヒーロー・インタビュー(係りの人が広告用の板?を手で支えていたなんて・・・苦笑)
の後に、この試合のヒーローの小林投手、内川選手がスタンドのファンへ”ボールをプレゼント”してくれるのですが、内川選手が投げ込んだボールが、、、!!!自分の目の前に来たので、思わずッ!パシッ~☆と捕れてしまった!のでした。その球が写真右です。






○村田、21日に1軍合流=状態次第で広島戦出場も
 右太ももを痛め2軍で調整している横浜の村田修一内野手が、21日に1軍に合流することになった。大矢監督が19日、明らかにした。同監督は、村田の状態が良ければ21日中に出場選手登録する意向を示し、同日の広島戦(横浜)に出場する可能性も出てきた。
 村田はこの日、楽天との2軍戦(山形)に4番三塁で5回まで出場。江川チーフトレーナーは「三塁を守ったが(負傷個所に)問題はないと聞いた」と話した。(時事通信)


※とにかく、早い回復力ですね!
現在の彼はやはり横浜の”顔”であり、”主砲”でもあり、チームの”新リーダー”でもあります。即座にしかも劇的にこの現状(チームは最下位・・・)が変わるものかは分かりませんが、それでも何かが変わる要素はタップリ!!ですからね・・。

”男・村田不在”の間で”借金”は「0」にはならなかったけどね・・(苦笑)。
追い上げ風になるのかっ!??
若いベイ選手と主砲とで上手く絡んでくれると・・・面白いことになるかもよ~♪

当然!ファンもボクも期待してますよ=



2009年観戦
4試合 1勝3敗(観戦、防御率:7.00=自責失点28)

※この防御率数字は個人で観戦したときのチーム(投手陣)防御率デス。(呆れる数字です・・・。)
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