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犬時計/ひとりつぶやき
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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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表紙が南海ホークス”下手投げのエース”杉浦忠投手です。

ユニホームを着ている杉浦忠氏となると、ボクの中では80年代中頃の南海ホークス監督時代のベンチでの”微笑ましい”お姿で采配をふるっていた印象しか残っていません・・。

しかも、もうお爺ちゃんの風貌(苦笑)で、以前(この59年当時)の偉大な投手という印象を受けるには、ましてや関東人のボクには想像もちょい難しかった?!
・・・です。

その記憶にある’80年代の南海監督時代はチームは弱かったですし・・・。
本拠地”大阪球場”のスタンドはいつもガラガラ・・・。(今のベイスターズみたい!爆)
で、この輝かしい黄金時代の影も形も無かった・・・です。

IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年
この表紙含め、杉浦投手の活躍を伝える記事内の写真はどれも当時の歴史を感じられますし、(本当!)素晴らしいですし貴重ですよね。
表紙の下手投げ写真は格好イイですよ!

杉浦さんの現役時代の活躍を再認識するにはもってこい!の特集でした。

シーズン38勝”(敗戦は4つだけ)って・・・・す、すごい!!!

IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年 (1)
天覧試合”もこの1959年だったんですね~

つい先日もテレ朝の”報道ステーション”のスポーツ・長島一茂氏の月いちのコーナーで、この”天覧試合”の特集を放送してましたね☆
8回表にあった(阪神タイガースの)”牽制死”を長島サヨナラ弾を生んだターニング・ポイントの一つにされてましたね!


プロ野球ファンとして、現代の”天覧試合”を行って欲しいものです―。

IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年 (2)
”天覧試合”といえば・・・
”ザトペック投法”の村山実投手!
の特集記事もあります。

記事内に”長島vs村山”の対戦写真があります。
マウンド上から気迫ある村山投手の投球で、打席の長島選手はヘルメットが落ちるんでないかの豪快な空振り!
この仕留めたその一瞬の写真は・・・・最高にシビれます!!!


IMG_0195週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1959年 (3)
”きらめくルーキーたち”の記事で載っていたのが・・・

現在、バラエティ番組出演等々でも”ゆでたまご”をほお張りながら、”ピッチャーやっ!”ツッコミも冴える(?)の若かりし頃の板東英二”投手”!!

中日ドラゴンズの球団史にも燦然と輝く大エースとなる板東さんですよ(笑)。
この1959年には33試合4勝4敗(防御率3.15)と活躍されたそうです。

他にも各球団には錚々たる顔ぶれの選手たちが59年度のルーキーとして記事になっています。
王、張本、村山、巽、江藤慎、桑田武、足立・・・・

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前号まででいよいよ1980年代の中盤へと向かう!?のと思いきや、
 1958年(昭和33年)へググっと!!時代を遡っていきました。

IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年

1958年(昭和33年)!!!なんて・・・全くもって想像の付かない時代であります。ザ・ビートルズだって、まだ音楽活動もされてませんよね?!

な、な、なのに!!

神様 仏様 稲尾様”・・・・生きてますね―。

最近でも東北楽天の野村監督が、好投をみせた田中将投手への賛辞にこの”神様・・・仏様・・・~”を引用されてましたっけ。

その稲尾様こと稲尾和久投手が、西鉄ライオンズのエースとして活躍されていた時代背景の一端をこうして観れるのですから、ありがたい話・・・雑誌なのです。

表紙はジャイアンツのエース藤田元司投手とその稲尾和久投手です。信じられないツーショットです。


IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年 (1)

表紙すぐになるページでは、この33年がルーキー・イヤーの長島茂雄vs金田正一
伝説的な語り草になっている長島の4打席4三振!!!!
(す、すっごい。)


IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年 (2)
写真のどれもが貴重と思える様で、さすが!!ベースボール・マガジン社発刊と改めて思います。


IMG_0202週刊プロ野球セパ誕生60年~1958年 (3)
神様 仏様 稲尾様”を決定付けさせた第9回目となった日本選手権!
の模様も記事となっていますよ。




○和田博実氏死去(元プロ野球西鉄ライオンズ選手)

 和田 博実氏(わだ・ひろみ=元プロ野球西鉄ライオンズ選手)22日午前2時1分、すい臓がんのため福岡市内の病院で死去。72歳。大分県臼杵市出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻貴美子(きみこ)さん。
 大分・臼杵高から1955年に西鉄(現西武)に入団。鉄腕の異名を取った故稲尾和久投手とバッテリーを組み、チームの黄金期を支えた。通算成績は1565試合出場で1104安打100本塁打。
 72年限りで現役を引退した後は、西武や阪神でコーチ、2軍監督などを務めた。(時事通信~2009/06/22)


※今号で特集記事にもなっていた稲尾投手の女房役、和田博実さんがこの22日にお亡くなりになられたとのニュースがありました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。。


ありましたね~♪

先日、惜しまれつつもリング上で”引退”をされたノアの象徴、三沢光晴の激闘とこれまでのプロレス人生を称えた週刊プロレス誌発刊、増刊による”三沢光晴 緊急追悼特集号”です。
IMG_0196三沢光晴追悼特集号
↑どうですか?!この表紙・・・・貫禄あり☆ですね。
ベルトはノアの至宝でもある”GHCヘビー級チャンピオン・ベルト”です。

実のところ、いずれはこういう企画本が出るかと思ってましたが、こんなに早い段階で出版されるとは・・・・(甘かった・・です。)
で、ノーマークでした。

この追悼特集号が発売される(た!)を知ったのが、今週明けになってからでした。しかも売り切り必死模様!!??というニュースを観て・・・(大汗”)。

完全に出遅れました。
スグ(もー遅いって・・・)にも近所の本屋へ行きましたが、ありません。
それでも、どうやら増刷もあるみたいな(?!)風の便りもあったので、そんなに焦ってもなかったのですが、今日(24日/水曜)ですよ。JR横浜駅のスグお隣にある駅ビル内にある大きな本屋へ寄ってみたら・・・

ありました!(残が2冊だよー・・・苦笑)

スグにレジへ向かいましたよ~(ラッキー☆)。


とりあえずこうして手に取れて、中身も確認でき・・・ひと安心♪
しました。


ただ・・・

ただ、中身のボリューム感が・・・・薄っぺらい!(苦笑)
”薄っぺらい”と書くと語弊かな。
言わばと言いますか、まさに!?週刊誌の増刊号!と言った趣きなんでしょうかね!?

内容自体は、まぁ~、、、まぁです(!?)。
大きな不満はありませんが、これを究極的な”永久保存版”とするには、ちょっと物足りなさ・・・もあったり?なかったり??

なんですよね―。
(※”緊急”の”追悼特集”号だから、またいずれ大御所的な豪華本も出てくるのかなぁ??期待!ですね。)


IMG_0196三沢光晴追悼特集号 (1)
↑表紙の次のページには、豪快なエメラルド・フロウジョンが―。


IMG_0196三沢光晴追悼特集号 (2)
↑タイガー時代、超世代軍時代~四天王時代の記事もありますからね。
写真ページでは、藤波に武藤、鈴木みのるに曙、小川直也に橋本、永田に蝶野に冬木に棚橋、小島聡・・・と、おぉー今更ながら組み合わせがスゴイね☆

どの対戦ももっと若いときに・・・・は野暮ですね―。

IMG_0196三沢光晴追悼特集号 (3)
↑この”三沢歴”は個人年譜になっております。
僅か2ページなんだけど、とても重たい2ページなんですよね・・・。すごい!!!この歴史、栄えある素晴らしいレスラー人生だったんだなぁ~と改めてすごい!!!の想いです(・・・うまく書けない・・)。


他にも、結果的に三沢光晴の最後の試合での最後の対戦相手となってしまった齋藤彰俊選手の”独白”とされたページも興味深い。
今も心ない者からのバッシングや嫌がらせ等々を受けてる!なんて報道も聞きますが、やっぱりそれは違うと思う。そんなバッシングや嫌がらせは齋藤選手以上に三沢光晴の面を、これまでのプロレスに懸けてきた魂を汚すことになるんじゃないかな!?

自分、弱いから逃げちゃうよ・・・。齋藤俊彰選手はこうして今も現実を、全てを受け止めてリングに上がって戦っている!!・・・本当にスゴイ!!と思う。
逃げずに戦っている・・・すごいです。

この齋藤俊彰選手の記事もご興味のある方は是非とも一読ですかね・・。



何だかこどもが書く感想文みたくなってしまったけど~

裏表紙にもあるけれど・・・

三沢光晴を忘れない―。

とありますが、異論はありませんね。





○反響WBC以上…三沢さん特集号1日で完売

 13日の試合中に亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)の特集号が異例の売れ行きを見せている。日本で唯一のプロレス専門週刊誌「週刊プロレス」(ベースボールマガジン社)は17日発売号が、1日で約5万部が完売。増刷した約5万部も残りわずかで、東京・千代田区の同社にはファンから「どこで買えるのか」など、問い合わせが殺到している。同社の販売部は「反響の大きさは今春のWBCと同じ。いやそれ以上でしょう」と分析した。20日に発売された「緊急追悼特集号」(定価420円)も約8万部を発行したものの、週明けには完売の勢いだ。都内でプロレス関連の書籍を多く扱う書店の担当者も「今回はプロレスファン以外の方も購入されています」と、あらためて三沢さんの影響力の強さを実感していた。(2009年06月21日~スポニチより)



○中村、エスパニョール移籍=古巣の横浜Mに断り

 サッカー日本代表のMF中村俊輔(30)=スコットランド・セルティック=がスペイン1部リーグのエスパニョールに移籍することが22日、決まった。移籍交渉をしていたJリーグ1部の横浜F・マリノスが明らかにした。この日、中村の代理人が横浜Mの松本喜美男統括本部長と会談、正式に横浜Mの申し出に断りを入れた。欧州での報道によると、エスパニョールは中村に2年契約、年俸120万ユーロ(約1億6500万円)を提示、基本合意に達したとされていた。
 
 中村は、かねてからスペインでのプレーを希望していたこともあり、エスパニョール移籍を選択した。松本統括本部長は「スペインという本人の大きな夢があった。レベルを高めたいという判断が最終的にあった」などと話した。

 中村は1997年に横浜M入り。イタリア1部リーグ(セリエA)のレッジーナを経て、2005~06年シーズンからセルティックでプレーし、リーグ3連覇などに貢献した。今季限りで契約が切れるセルティックが残留を要請し、横浜M、エスパニョールが獲得に動いていた。(時事通信)



※横浜在住者の自分としては、やっぱり”地元”横浜F・マリノスがリーグ戦で活躍するニュースを日々楽しみにしているので、元々が横浜人のそして古巣マリノスの10番選手としても活躍されていた中村俊輔選手のヨコハマ”ご帰還”を心待ちにしてました。
が、今回もやっぱりドンデン返し(笑)!!でしたね。

今では日本代表の主力でありエース格の俊輔選手ですし、周りへ与えるその影響力は10年前のマリノス時代のそれとは明らかに違いすぎますね。
そんな中にあっても己のレベルの高みや進化の気持ちを持ち続ける俊輔選手の個性は大事ですし、尊重するべきでしょう!
イタリア~スコットランド、そして本人が古くから希望していたスペインの地へ―。

いちファンとしてもこれまで通り応援して行きたい!ですし、俊輔が披露する魅力的な技あり!!なサッカーを楽しみにしてますよ♪
どこでプレーするにも、頑張って欲しいという願いでいっぱいなのです。

来季のスペイン・リーグはC・ロナウドにカカに、世界規格を超えてるトップ・プレーヤーがこれまた移籍してきてますし、そんな中でも輝きをみせる俊輔を観たいですよね!



・・・しっかし、マリノスの社長は何をやらかしたのでしょうかね!?(苦笑)
これまでの報道でも、”俊輔マリノス復帰”は確実視をされていたかと思うのですが・・・。
社長(球団側)の”誠意”が薄かったのか、何かの不手際(?)があったのか、これまでの経緯をちゃんと包み隠さずにサポーターへ伝えるべきだとも思いますけどね―。



(関連記事)
俊輔よ、Jに復帰するべしっ!!


○ノアのキングであり象徴が・・・・悲痛・・・・・です・・・・。
07年1月撮影時の三沢選手

○プロレスラー三沢光晴さん死亡=試合中頭を打つ

 13日午後8時35分ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館(グリーンアリーナ)で開かれていたプロレスリング・ノア広島大会で、レスラーの三沢光晴さん(46)が投げられた後、意識不明となり、午後10時10分、搬送先の病院で死亡した。
 広島中央署によると、三沢さんはプロレス興行会社の社長兼レスラー。午後8時すぎから始まったタッグマッチに出場し、約30分後にバックドロップで投げられ頭を打った後、意識がなくなったという。
(時事通信)



○<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。

 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。(毎日新聞)






※驚きました・・・。
ゴシップ(いい加減なウソ・捏造)記事/ニュースかと思いましたが、こうして時事通信に記載されているのを見ると、どうやら信じ難いのですが、本当らしい・・・。
涙出てきます・・・。

非常にショック!!です。残念です―。


自分的にも思い入れのあるレスラーでした。
2代目タイガー・マスクとして、当時(確か・・・)徳光和夫アナの興奮し絶叫した選手紹介によって、颯爽とリング・インしてきたのを(うろ覚えなのですが・・・)覚えています。
全日の注目されている若手選手にはよく組まれたエース格選手へなるためへ自分より格上の選手らと戦う登竜門!”(タイガー)7番勝負”を行ったり、そのタイガー時代からもJ・鶴田や天龍ら(ヘビー級の選手らと)のタッグ・パートナーとして全日の将来を担う有望株な選手の一人として精進してましたね。

小橋、川田らと決起した”超世代”軍の中心選手として、当時の絶対的エースJ・鶴田に反旗を唱え、マスクを脱いで素顔の”三沢光晴”として来るべく新時代へのプロレスを模索し始め、J・鶴田との熱い激闘の数々によって、プロレス界の新たなヒーロー像として広く認知されて行ったかと思います。

その大きな鶴田という壁を遂には攻略し頂上をも昇り詰めましたね!(当時の自分は鶴田のファンでもあったので、鶴田を越えて行った時は、TVの前で負けた寂しさもありつつ三沢の師匠越えともいえる活躍が嬉しくもありましたよ・・。)

総帥ジャイアント馬場亡き後の全日本を脱退しプロレスリング・ノアを立ち上げ、そのノアの象徴として戦い続け王者としても君臨してました・・・。

60分間の試合時間を壮絶にフルタイム戦う凄まじい試合もしょっちゅうありました。
スタミナ切れをしそうでも、キン肉マンみたく”火事場のクソ力”みたいな違う強心臓スタミナみたいなモノを持っていて、相手の大技・決め技をも吸収するかのレスリング技術の高さはとにかく、す、凄かったんです。

三沢がまだタイガーのときに当時のボクは高校生で、週刊サンデーを毎週水曜の楽しみでもあったのですが、三沢タイガーのグラビア(?)インタビュー記事があって、当時流行っていたアイドルの浅香唯が好きだった・・・なんて普通の兄チャンが語っている様なインタビューを強烈に覚えてもいますね・・。



プロレス界を一変させた”四次元殺法”の初代タイガーと比べ(てしまうと・・)、三沢タイガーはやはりまだカラダ自体や技も完成されていなく、その技や試合の組み立てでもどこかぎこちなかった印象もあったりでした。
ただ、いわゆる若手時代から何かの強い星を持っているのか、卓越されたリーダー性を持っていたのか(?)、同じ若手群にあっても特別に目立つ方だったのではないでしょうか。馬場さんに”タイガー・マスク”として抜擢されるほどですから、若手の中にあっても将来性の高かった選手だったのでしょう。
若手の中の”兄貴分”みたいな・・。
若くしてどこか頼れる存在でもあったのでしょうか。

素顔となった三沢光晴のレスラーとしての存在感や肉体の強さ、技のキレやスピード感等々、全日~ノアでの大飛躍に大活躍はもはや言うまでもありません―。
そして何にしても先陣を切るかのリーダー・シップ性も素晴らしかった!と思います。


自身、最近のノアと言いますか、プロレス自体の興味も薄れ、各団体のリング情報にも疎いのですが。それでも”あの”興奮や輝きのあったプロレス人気の復興には、この三沢の言動や影響が今後も必ず大きなものを占めるかとも思っていたので・・・。
この訃報がとにかく!何にせよ残念でありません!!!!
です。

ホント!?にリングの上で亡くなってしまうなんて・・・・



ご冥福をお祈り・・・・って今は考えられません!!!

  また復活して欲しい! あの世界最強の”三沢エルボー”を観たいっ!!!




三沢vs川田(三沢、タイガー・ドライバー’91による勝利)



J・鶴田vs三沢(J・鶴田、バックドロップによる勝利)



三沢よ永遠に! 入場曲”スパルタンⅩ”


三沢まで、、、レジェンド・レスラーへとなってしまうなんて・・・
本当に涙でた・・。

ありがとうございました。
 お疲れさまです。。

多くのファン同様に実感はまるでありませんが、
 謹んでご冥福をお祈り致します。。

2009年6月10日(水) 横浜・日産スタジアム

日本代表1-1カタール代表
ゴール:オウンゴール(前半2分~FW岡崎と相手DFの絡み) ヤハヤ(後半8分、DF中澤のファウルによるPK)


○日本、カタールと分ける=ホーム最終戦、白星で飾れず-サッカーW杯予選

 サッカーの2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のアジア最終予選は10日、各地で行われ、既に4大会連続4度目のW杯出場を決めているA組の日本は横浜市の日産スタジアムでカタールと1-1で引き分けた。日本は勝ち点15としたが、同組2位で変わらず。
 6日のウズベキスタン戦から先発5人を入れ替えた日本は開始早々、内田(鹿島)の右クロスが相手のオウンゴールを誘って先制。しかし、後半8分にPKを決められて追いつかれた。
 その後は松井、興梠、本田と攻撃的な選手を次々と投入して攻勢に転じたがゴールを割れず、逆にカウンターからピンチを招く場面も多く、ホーム最終戦を白星で飾れなかった。(時事通信)





※選手の皆さん、お疲れモードだったでしょうか?!遠藤・長谷部という攻守の要ポジションの二人が同時に欠けたのも小さくなかったでしょうか?
ベンチに監督が不在というのもあったのか?

”あっ!イイなぁ~”の動きは最初の10分もありませんでしたね(苦笑)。
後半、松井選手が交代出場したときは”流れ”も変わった様に見えましたが・・・。
全体的な”収穫”は乏しい戦況の印象でした。


もっと、いい試合をお見せしたかったが、今日は選手を生かしてやることができませんでした。本当に申し訳ありません!

とは試合直後に行われた、日本代表を応援していたサポーターへ向けての岡田監督によるあいさつの言葉なんですが・・・。
いきなり悲壮感あると言いましょうか、今後の不安な雲行き?を暗示させるかのような印象で・・・。(とほほな気分ですよ。)

W杯へという本番への準備に向けてもただただ心配や不安もありますが、今後の強化(合宿でも試合でも)策に期待するしかありません!

まぁ、、、今は悪い面が出れば出るほどそれをチーム改善への”肥やし”として出来るでしょうからね!
良い面ばかりが目立つよりかは、悪い面が露骨に出てくれている方が(今は!)いいのかも。

そして、修正ですね☆
W杯出場は決まったのですから、内容がとにかく大事ですよね。

※ただ次のオーストラリア戦ではレギュラー格の出場選手に大きな変更もあるそうなので、内容・結果的にも厳しくなるでしょうかね―。



中村俊輔選手
”新しい選手が入ってもう少し動けるかと思ったが、自分も含めてもうちょっと勢いが必要だった。ホームで勝ちたかったが残念。”

田中マルクス闘莉王選手
”納得いかない。悔しい気持ちでいっぱい。ウズベキスタン戦は日本のサッカーができなかったので、今回は修正できると思ったができなかった。”

中村憲剛選手
”良くなかったと思う。(布陣が変わり)ちょっと難しいところもあったが、声を掛けながら合わせないといけない。(疲れは)相手も同じ。言い訳にしてはいけない。もっと高みを見てやっていかないと。”

松井大輔選手
”落ち着いてボールを回した方がよかった。メリハリつけないといけない。課題があった。”

阿部勇樹選手
”相手にボールを回され、間延びしている時間があった。運動量もなかった。”

玉田圭司選手
”コンディション不足は否めない。こういう試合をしたらいけないと分かった。この試合があって良かったと後で思いたい。引きずる必要はない。”

犬飼基昭/日本サッカー協会会長
”動きが非常に少なかった。出た選手が持ち味を出してくれるようにならないと。そういった意味でちょっと物足りなかった。”






※今後の強化試合になるかも・・・?情報

○ポルトガルから親善試合のオファー=サッカー協会会長

 日本サッカー協会の犬飼基昭会長は11日、ポルトガルから国際親善試合のオファーを受けたことを明らかにした。具体的な交渉はこれからだが、実現すれば、既に4大会連続の出場を決めたワールドカップ(W杯)南アフリカ大会への貴重な強化の場となる。
 ポルトガルは2008年の年間最優秀選手クリスティアノ・ロナルド(マンチェスター・ユナイテッド)を擁し、前回W杯ドイツ大会4位。現在世界ランキング11位で、南アフリカ大会の欧州予選では1組で10試合中6試合を終え、デンマーク、ハンガリーに次ぐプレーオフ圏外の3位と苦戦している。 
 日本は9月にオランダと敵地で、10月にはスコットランドとホームで親善試合を行うことが内定している。(時事通信)



IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年
50番トリオ躍動
・・・この1983年号の表紙と巻頭にはそのジャイアンツの背番号50番台にしてチーム期待の同年代3選手(駒田徳広ー50、槙原寛巳ー54、吉村禎章ー55)です。

ボクらの世代(30代後半です・・。)では、この辺りはまだ昨日(?)の様な出来事かもなんですが―。
ボク自身、地元横浜大洋を中心にプロ野球観戦してましたが、55吉村選手は好きなタイプのバットマンでしたね~♪
今の巨人の1塁コーチャーには吉村コーチが立っておられるので、何気に気になっております^^

三人ともに現役を引退されるまで、素晴らしい記憶にも記録にもハッキリと残る活躍をされてましたね。
槙原投手は初登板が完投勝利という離れ技を決めつつ、甲子園ではバース掛布岡田のバックスクリーン3連発を演出しその後に”完全試合”という偉業を記録しましたし、
駒田選手は初打席が満塁ホームランという快挙にしてその後も”満塁男”の異名から確実性も身に付けての2000本安打も達成名球界入りもし、
吉村選手は3割30本塁打と常に安定性高い打撃から近い将来にあるかの三冠王の夢をあの試合中にあった事故によって脚をも砕いてしまって・・・長い孤独な時間と努力と根性から奇跡の大復活を成し遂げたときはボクも思わず涙が・・・。
その後にチームⅤ殊勲打がサヨナラ弾だとかもありましたっけ。

現在の3人がそれぞれでまだまだ野球界に尽力をされているのが、これまたすごいんですよね。


IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (2)
現在のジャイアンツには”2番センター松本”なんて育成選手上がりの若い選手が頑張ってますよね!”平成の青い稲妻”(?)なんて応援もちらほら・・・。
今号には”元祖”!?の”青い稲妻”こと松本匡史選手の当時の盗塁シーズン最多記録(セ・リーグ)の記事が載ってますね!今でいう所の阪神赤星選手の様な足のスペシャリストでしたね。
この松本選手の活躍を支えた”つなぎのユニホーム”(滑り込むと土が入るので、それ防止にユニホームの上下がくっついている。)も話題になりました。

青い稲妻”!!!う~ん・・・絶妙にニクイほどセンスも格好も良いニックネームです。

♪ラララ、光よりも速く~青い~イナ~ズマ~。。。(って当時の応援歌だった様な・・苦笑)

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (3)
充実した選手層によって圧倒的な強戦力を誇るジャイアンツに対抗したのが若き獅子軍団が目覚め始めた新生西武ライオンズでした。

”藤田G対広岡L”というセ・パの覇権頂上決戦は、お互いのそしてこれからの野球界に誇る”盟主”としてのプライドを懸けた好試合ばかりでした。
素晴らしい日本シリーズとして、今でもファンでは語り草になっている事でしょう!!
ボクもとにかく印象に残っている日本シリーズがこの’83年なんです。

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (4)
甲子園での”大ちゃんフィーバー”の主役、荒木大輔投手(早実高ーヤクルト)のルーキー・イヤーがこの1983年でしたか!
初先発初勝利のときのエピソーゾ記事・写真ですね。

現在は荒木投手コーチとしてライオンズ投手陣を支えてますね!この初勝利の時に荒木投手からマウンドを引き継いだのが当時、先発から抑えに大車輪の活躍を魅せていたヤクルトのエース尾花高夫投手(現ジャイアンツの投手コーチ)というのも、時代を感じさせますね~。

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (1)
現在のプロ野球の背番号で「0」ゼロ番を付けている選手なんて、どの球団・チームにも所属してますが、いわゆる”元祖”はこの長嶋清幸選手(広島東洋カープ)でしたね☆
この長嶋選手「66」番から一桁台を切望しつつも都合のよい空番もなく、前年(’82年)にメジャー、首位打者にもなったエクスポズのアル・オリバー選手が「0」を付けていたのを知って当時の古葉監督に打診したとか・・。

丁度この頃のカープのキャッチ・フレーズに”ゼロからのスタート”というのもこの背番号「0」誕生を後押ししたそうな・・。

この「0」は長嶋選手の活躍とともに球界でも流行って、その後も川相選手(巨)らも若き頃は付けてましたね。石井琢朗選手(現、広島)も若き日の横浜大洋、”忠徳”時代には「0」も付けてました。

今では「0」番なん珍しくもないほどに”定着”しつつ、「00」番を付けている選手もいますね。



※いよいよ今号で発刊から10号目になりました。
10号連続購読キャンペーンというのがあって、(毎号付いてた)応募シールを10枚分貼って送付すると専用カード・アルバムが必ずくれるそうで~

早速?いずれ?(笑)送ってみたいと思います―。

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