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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年
1962年(昭和37年)号の表紙は・・・・
阪神タイガースの2大エース、小山正明投手と村山実投手です。
このシーズンの小山投手は27勝(13完封含む)、村山投手は25勝で最優秀防御率のタイトルも獲得する大活躍でした。当然!阪神も2リーグ制になってからの初優勝!でした。

IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (1)


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日本シリーズ(第13回)は”阪神対東映
東映が村山投手を攻略して、2連敗のあとの4連勝で日本一。
延長が4試合もあったそうで・・・。


他にも・・・

IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (2)
選手のあの”一本足打法”が完成されたシーズンでもあったそうですね。
ここから”世界のホームラン王”へと大化けされていったのですね!!
王さんは自身でも当時の他のどの選手より素振りの回数は多かった!とあるTV番組のインタビューでも仰っていました。
誰にも真似の出来ない努力と練習量で、完成させた”一本足”。
とてつもなく”本物”でカッコイイ☆です!!!


IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (3)
その王選手を同じバット・マンとして尊敬し認め、心のライバル視をもされていた!という張本勲選手です。
この号では特集が組まれていました。

今春にはイチロー選手(マリナーズ)にプロ通算安打数記録でついに抜かれてしまいましたが、昭和の安打製造機として名を馳せ、安打数量に技術力の代表としてトップは間違いなくこの張本さんでした。
スプレー打法”ともいわれた左右広角に打ち分ける技術は、その後の選手たちへにも大きな影響を及ぼしたことでしょうね。
今では”喝ーッ!!!”のおじさんの方が有名でしょうか(笑)。

この特集記事でボクは初めて知ったのですが、右手にハンデ(4さい時にあった火傷のため)があった事を知りませんでした。。



IMG_0009週刊プロ野球セパ誕生60年~1962年 (5)
ベストナインは(↑)こんな感じに―。



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2009年7月19日(日)
○中日6-3横浜● 12回戦(横浜スタジアム)

 ○…中日のブランコが推定飛距離150メートルの、特大の場外2ランを放った。五回2死一塁で、初球の真ん中直球をフルスイング。打球は左翼スタンドを大きく越えて、照明の鉄柱にぶつかり場外に消えた。四回の打席でも、バックスクリーンを直撃したかに見える打球を放ったが、審判はフェンス最上部の縁に当たって跳ね返ったと判断したため二塁打となっていた。「それならば」と言わんばかりの、いわば打ち直しの一発。「完ぺきにとらえたよ」と本人も納得の2試合連続の本塁打となった。
(毎日新聞)


IMG_0018ブランコ(中日)特大弾炸裂!!
IMG_0019ブランコ(中日)特大弾炸裂!!
※すっごい!!!ホームランでしたね。
各球場でその怪力ぶりを超発揮させてファンを魅了させているブランコ内野手(中日ドラゴンズ)。
遂に横浜スタジアムでもその怪力を(観たくありませんが・・・)爆発させましたね!!
何年も前のプロ野球と違って、打球の飛距離に差があるので、この横浜スタジアムでも”場外ホームラン”はそう珍しい印象も薄れてきてます。

しかしこの日のブランコ弾は今まで観た場外弾と比べてもその凄さは1位?2位?を争うすっごい当たり!!!だったのではないでしょうかね。
(球場外に設置)照明灯の柱に当てたのはブランコ選手が初めてでしょう!!
ホント!ピンポン玉みたく大きな弧と力強いライナー性の強烈な打球・・・。
ブーマー(阪急、オリックス)とカブレラ(西武、オリックス)とを合体させた印象を強く感じました。

”ホームラン”を魅せてくれる選手はいますが、このブランコ選手の打席は敵ながら楽しみ♪になりますよね~。




※ベイスターズはヤクルトさん、広島さん相手に5連勝!!!!!のあとにこの中日戦で全敗北(3連敗!!!)ですからね~
”とほほ”ですが、”らしい”と言えばそうなのかな(苦笑)。
”首位を狙える”と”借金を多く抱えている”とでチームのチカラの差もはっきりとしてますものね。
ベイはレギュラー自体も固定出来ていませんし・・・・ピッチャーもいませんし(爆)・・・・
ファンとしてはツライ日々なんですが、若い選手の成長に楽しみを見つけるしかもう無いような。。

そんな中で登場したのが・・・

この19日の試合でベイスターズで”育成枠”として入団した関口雄大外野手が、プロ初打席初安打を見事!発生させましたね☆
粗削りな面もまだまだ感じますが、積極的にシャープに振り抜いた打球がレフト線をすっ飛んで行きましたね!
ボクも彼の打席は初めて観ましたが、何かこれからの楽しみ♪を感じさせてくれる打球でしたよね。


○横浜・関口、プロ初打席初安打「頭が真っ白」

横浜の明るい材料は、関口のプロ初打席初ヒット。五回、1死一塁で代打で登場。「内角だったら思い切っていこう」との狙い通り、初球を左翼線への二塁打とした。反撃ムードを高める安打に大歓声が起きたが「頭が真っ白で聞こえなかった」と振り返った。

 23歳の関口は育成選手として2008年に入団。昨季2軍で活躍し、支配下登録された。ベンチでは田代監督代行から直接、記念のボールをもらい「両親に送ります」とうれしそうに話した。(サンスポ)



今日からオールスター前、前半戦最後の3連戦(しかも相手が首位のジャイアンツ)。

ちゃんと試合になればイイんだけど・・・(苦笑)。

週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1961年・・・・は昭和36年です。
表紙は中日ドラゴンズ権藤博投手。
IMG_0001週刊プロ野球セパ誕生60年~1961年
ルーキー・イヤーに35勝!!!って(脅威です!!)。。

体つきもズバ抜けて大きな感じもしない権藤投手ですが、
エースとしてのバック・ナンバー”20”が輝いているかの様ですね。

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権藤博:1938年12月2日生まれ。佐賀県出身。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て、1961年中日に入団。この1961年シーズンに35勝19敗、防御率1.70で最多勝、最優秀防御率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得。
連投・・・連投・・・の登板酷使がたたり、’65年に内野手へ転向。しかしながら’68年には短命ながら現役を引退する。
その後、その独自に培った投手理論で若手投手育成に従事し、各球団を投手コーチとして活躍。コーチとして関わったチームは殆どが”投手王国”へと変貌させる手腕を発揮。
1998年には横浜ベイスターズ監督に就任し、監督1年目にしてチームを38年ぶりの日本一へと導いた―。

ホント!この’61年は権藤・・・・権藤・・・ゴンドー・・・ごんどー・・・だったのでしょうね。。

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前号(1960年号)の大毎”ミサイル打線”の主軸、山内和弘選手のクローズ・アップ記事もありました。(左)
打撃フォームの連続分解写真はいいですね~♪
この山内氏も権藤さん同様(?)に現役引退されてから監督、打撃コーチで若手選手への”鬼”の育成で有名でしたね!
落合(現、中日監督)さんも若手時代に山内さんからの指導を受けていらっしゃってましたね。オレ流打撃論で、色々と衝突もあったとか?なかった?とか・・・



(右)写真は、”柳川事件”の背景にあったもの・・・と題された記事です。プロ野球側、アマ野球側との関係”断絶”の一因とされた(らしい・・・)事件背景を追った記事になっています。
過去には球界を揺るがすこんな”事件”もあったのですね。。

この”柳川事件”自体、ボクは詳しく理解してませんが・・・(苦笑)

本記事では”過程で起こった、きっかけの一つに過ぎない。”とありますね。



ボク自身、なぜ?アマとプロとで別々の”集まり”になっているのか?今だに不思議でしょうがありませんけど―。
日本サッカー界の様にひとつの”協会”として”一枚岩”的でない印象が強いんですよね!日本の野球界って~
高校野球然り!各大学リーグやノンプロの実業団然り。プロ野球ももちろん!!同じ”野球”なのに皆がみな、大元となる”組織”が別個にあるって・・・。
それでいて日本の野球人口が少なくもなく、こうして今だ人気(一時代に比べては、かげりはあるのかな・・?)があるって、不思議なんですよね。。
日本人はとにかく”野球”が好き!だということもありましょうか。

WBCで2連覇!!したと言っても日本のプロ・チームに所属する選手や関係者の頑張りは素晴らしいと素直に思えたのでが、”日本野球”の勝利!となると・・・まだまだアメリカの野球組織には追い付いていないのかな??と感じていたりなんです。個人的な印象では―。
いち組織として、組織機能も追い付いていない分、日本人選手がメジャー・リーグに夢を抱いて、その実現のためにわざわざアメリカへ飛んで行ってしまうのかな?と思ったり・・。


アマとプロとで”野球”に対してひとつの目標を定めて頂きたい!と言いますか・・・もっとお互いで交流も深めて欲しいものですね!昔に比べれば大分”異文化”交流(?)も増えていますが。
一つの野球組織で”独立リーグ”らも支えられたら・・・もっと野球の人気もより安定感を感じたり、若い選手の育成や野球そのものの普及にも繋がるんでないかな~?と感じてますよ。


プロ・アマの隔たりは関係なく、今後も日本の野球界全体のより発展を祈願しつつ、多くのファンを満足そして喜んで貰うためにも!!関係者の皆さまには尽力して頑張って!!欲しいものですね~。。


○深澤アナ&関根氏コンビ、ニッポン放送で復活
 
7月15日の「ショウアップナイター ヤクルト-巨人戦」(神宮)で、解説を野球評論家の関根潤三氏(82)、実況を同局OBの深澤弘アナウンサー(73)が担当する。

 深澤アナは1964年から実況を開始し、名調子を響かせてきた。関根氏がニッポン放送の専属評論家に就任した66年にコンビを結成。以来、深澤氏が現場を離れた96年まで、関根氏が各球団の監督、コーチを務めた期間を除き、丁々発止のやりとりを繰り広げた。

 野球ファンにはお涙ものの組み合わせ。開局55周年記念日に行われる同試合で、局側が王道の実況スタイルを復活させようと依頼し、深澤氏の快諾を得たという。

 深澤アナウンサーは「13年ぶりのラジオ実況が大乱戦になり、途中でスタミナ切れするかと思った。最後までもったので、まだまだ捨てたもんじゃないな」。

 関根氏は「きょうは深澤さんの実況にあわせてしゃべるだけだったから今シーズン一番楽な仕事だったよ。楽しかった」と笑顔で振り返った。
(サンスポ)



※15日の夜のラジオ中継はボク的にもすごく楽しみ♪でした~
ボクが少年時代のときに慣れ親しんだ好きな実況アナの一人に必ずこの深沢さんが入ってきます!

とても”歯切れ”が良いと云いますか・・・とにかく想像も妄想もしやすく聞きやすいんですよね~
映像の無いラジオ中継ですと、脳内でその場面・風景を思い浮かべながら想像力とともに聞いているのですが、深沢さんのそれは臨場感も興奮も感じられたんですよ=


昨晩の放送では、プロ野球界も選手自体もどんどん若い選手が台頭されてきて、この野球界の時代の変化のスピードに対応されていないかの印象も受けました。
さすがに?!一線を退いてからもうだいぶ経ちますし、深沢&関根さんのコンビではどこか着いて来れてない印象も正直あったのですが・・・。(しょうがないのですけどね・・・)

それでも、あの声、あの解説にある”節”は誰にも真似の出来ない素晴らしい!!オリジナルなんですよ!(楽しかった♪です。)
懐かしさもありましたが、深沢さんの実況はやっぱり好きでしたね。。
関根さんもニッポン放送の”解説”・・・永いですね~今だに時折ですが、聞こえてきますからね。。
元気で何よりです!!




この日の放送では、懐かしい”ホームラン・ジングル”(ファンファーレ♪です。)音も使用されて、この効果音も興奮を煽る要素でしたね!
’85年の阪神タイガース、”バース・掛布・岡田”のバックスクリーン3連発もこの効果音が3連発に流れていたんですよ~


こちらは、タイムリー・ヒットが出ると鳴り出すジングル音。
昨晩はラジオのスピーカーの前で”待機”してましたよ(笑)。


週刊プロ野球セ・パ誕生60年~1960年(昭和35年)号です。

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三原マジック”の文字が躍動しているかの様です。

魔術師”こと三原脩監督です!
1951年に西鉄ライオンズ監督に就任し、56年からの3年連続日本一監督に。60年には大洋監督に就任し、前年度最下位チームを見事!”日本一”へと導きました。
1968年にはこれまた前年まで4年連続低迷を続けていた近鉄バファローズを監督就任後から戦えるチームとして躍進させ、その後来るチーム黄金期の礎をも作る若手選手を輩出させてます。
1971年のヤクルトスワローズ監督時代には、”小さな大打者”として活躍する若き日の若松勉選手の育ての親としても敏腕を奮われていたそうですね。

・監督通算成績:3248試合 1687勝1453敗108分 勝率.537(Aクラス15回、Bクラス12回)
・リーグ優勝6回、日本一4回

昭和の・・・プロ野球史に燦然と輝く大監督のひとりですね!!

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その”三原マジック”によって大洋ホエールズが球団史上初となる日本一を奪取しました!!写真は大洋漁業下関支社前で行われた優勝パレードの模様だそうです☆
(めちゃめちゃレトロな時代を感じさせてくれる(笑)写真ですね~)
※この後、大洋球団(現在の横浜ベイスターズ)が日本一になるまで38年掛かりました―。

三原マジックの真髄は人を見極める能力にあり

”個人の記録ではなく勝つための選手起用”

と書かれてあります。
このときの大洋ホエールズの各選手の活躍、三原脩監督のエピソード記事は興味深いですよ。

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巨人・水原監督 辞任”記事も興味深いものです。
この頃の巨人軍勢力図なんてもあって、これまた面白い♪


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この年に三原大洋と日本一を争ったのが、強力打線を擁する大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズです)。
その強力打線のあだ名が・・・・”ミサイル打線”!!!
そのミサイル打線のメーンキャストでもある4名の写真があるわけです。
榎本喜八(一番右)、山内和弘(右二番目)、田宮謙次郎(左二番目)、葛城隆雄(一番左)




左写真にある”あなたは覚えてますか?”にある写真は、馬場正平投手(巨人)がなんと!プロレス界入りの記事です。あのジャイアント馬場さんです。有名な話ですが、風呂場で転んで左ヒジを負傷し投手を断念・・・。力道山にスカウトされる形で日本プロレスへ入門―。
馬場さん、”東洋の大巨人”として世界的にも活躍されましたよね!

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