経済
犬時計/ひとりつぶやき
プロフィール

sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

全記事(数)表示
全タイトルを表示
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
偉大なる先代プレーヤーや、現在進行で大活躍している現役プレーヤーたちの功績や期待を(個人的な観点で勝手に)称えてしまおう!!という・・・
その名も
好きな選手列伝”。

栄えある(!?)第1回目の記念すべき記載ですが、

・・・華のあった現役時代から、現在の監督としても常に球界の第一線で活躍されている”若大将”こと原辰徳氏(2009年現在、巨人軍監督)の登場です。
”原選手”の活躍は、ボクにとっても自身のプロ野球ファン歴の第一歩と重なりますし、そのファースト・インパクトとして強烈にまでに大きく記憶に残っている野球人のお一人であるんです。




○O.Nイズムを継承し伝承する永遠なるプロ野球界の”若大将”
imgはらたつのり現役時代
”甲子園のプリンス”、さらには首都大学リーグでは2度の三冠王を獲得するなど、豪快な打棒と華々しいスター性とを兼ね揃え持っていた原選手。
王・長嶋というスーパー・スター選手を失い、新時代球界の到来とスター選手の誕生をも告げるべく1980年のドラフト1位指名(4球団の競合のすえ)を受け東海大から読売ジャイアンツへと入団しました。

入団当初のキャンプでは、本職のサード守備ではなくチームの構成上、サード中畑をレギュラーとし新人の原の目指されたポジションはセカンドでした。いずれはチームの主砲をと目されていた中畑との同じポジションによる競合を避け、セカンド篠塚(当時はまだ若手クラス)とのレギュラー争いをと考えていた藤田監督、王助監督をはじめとする首脳陣の構想だったそうです。
こうして、”二塁・原、遊撃・河埜、三塁・中畑”との布陣を組みシーズンを迎えたのですが、やはり不慣れの二塁守備ではベスト・パフォーマンスを披露できない原。そんな中、二塁の守備も慣れかけた頃の5月に思わぬところでケガの光明が起こります。
試合中に中畑の故障(骨折~戦線離脱)が起こり、急遽”サード原”が誕生します。サードの居心地の良さなのか、サードゴロを華麗にジャピング・スローでアウトに取るなど守備に打撃に大活躍し、結局この’81年シーズンは、22本塁打を叩き出し”新人王”に輝きました。
ルーキーながらONなきチームを日本一へとさせる原動力の一人へとなっていました。

’83年には自身初となる打率3割超え(.302)、打点王(103)、最多勝利打点王(その試合を勝利へと決める打点を打った者)のタイトルを獲得。
もはや内外から認知された主砲としてその年のリーグ優勝へも大きく貢献。
その功績からリーグ最優秀選手(MVP)にも輝き、ONなき後の栄えある”巨人軍の4番”として、チームを牽引”若大将”としてプロ野球界を代表する選手となりました。

”4番サード原”として、またその爽やかなプレー・スタイルは人気を博しつつ、時にファンの期待を裏切るファウル・フライをチャンスのときにわざわざ打ち上げてしまったり、時にチームの命運を決めるかの値千金な本塁打をガツンとライナー性の当たりでスタンドへ叩き込んだり―。
とにかく華のある選手像でしたよね。

プロ入り後、巨人の4番打者として1066試合に出場していますが、1000試合を務め超えているのは川上、長嶋、王と言った偉大なる先代4番プレーヤーとこの原の4人だけとのこと。
他に12年連続シーズン20本塁打以上、12年連続シーズン100安打以上を記録。また併殺打や三振数も少ない原はシーズン12犠飛(歴代2位タイ)の記録も持っているそうです。

ONを継承はら
’86年にその後の打撃に影響を与えてしまったと云われる”左手有こう骨骨折”のアクシデントがあったり、選手としての晩年を迎える頃には”アキレスけん痛”にも苦しんだり―。
チーム内の若手の台頭、次世代への補強等もあり、また守備の負担を軽減させるという名目のもと一塁手へ、そして左翼手からまた内野手へとのコンバートも頻繁になってしまったりで、そして遂に’95年10月に現役を引退します。
しかしながら原は、その自身のラスト・ゲームにおいても本塁打をかっ飛ばし最後の最後まで”若大将”としてファンを魅了してくれました―。
80年代以降、”巨人軍の4番のプライド”という言葉が最もよく似合う選手でもありました。


現役引退後、解説者やスポーツ番組のキャスターを経て、長嶋監督のもとコーチとして下積み経験を積み上げ、2002年には初監督(第一期)に就任。いきなりの日本一という偉業を達成。
2008年シーズンには春先から首位を走る阪神との約13ゲーム差をひっくり返す”新メイク・レジェンド”を敢行させ、リーグ優勝を奪取。
その活躍と功績を認められ同じく秋には、いわゆる”サムライ・ジャパン”(日本代表)監督のポストを王貞治氏から要請され受諾。2009年の第ニ回WBC大会の代表チームを見事2連覇へと導き、個性派集団をまとめ挙げたその言動や手腕は今後も高く評価される事でしょうか。

これからの日本球界の担い手としても期待されつつ、更なる活躍をもされるのではないでしょうか。


原辰徳(はらたつのり)
1958年7月22日生 右投右打
福岡県(神奈川県)出身 東海大相模ー東海大ー巨人(’80ドラフト1位入団)
通算成績:1697試合、1675安打、382本塁打、1093打点、894三振、打率.279 
主なタイトル:新人王(1980年)、リーグMVP(1983年)、打点王(1983年)、ベストナイン(1983、87、88、90、91年=5回)、ゴールデングラブ(1987、88年=2回)
最多勝利打点2回、オールスター出場11回



スポンサーサイト

コメント

OASI-Z : お前さん達は立派なサムライになった!

本当に「若大将」と呼ぶのに相応しい爽やかなマスクですね~。この「バット投げ」も巨人ファンにはたまらない名シーンですね。
(因みにウチの奥さんは、選手~監督時代を通して原さんの大ファンですv-389

ONが引退した後のセ・リーグ戦国時代に、巨人ファンの大きな期待を一身に受けながら4番の座を守った原選手のプレッシャーは、尋常ではなかったはず。
引退試合?だったでしょうか、ベンチで長島監督と熱い抱擁を交わした時の原選手の涙は忘れる事が出来ませんv-409

選手としてはONを超える事は出来なかったかもしれませんが、監督としてはWBCも制しONを超えたと言っても過言ではないのでは?
(↑まだ、ちょっと早い?O監督もWBCを制しているしね・・・)

WBCも終わって、それぞれの選手がペナントレースでどんな活躍をするのか楽しみですね~v-410

sihuku : か、噛みましたねッ!?byゆんける・イチロー

OASI-Zさま こんばんわ!

>因みにウチの奥さんは、選手~監督時代を通して原さんの大ファンです

♪大ファンでいらっしゃるのですね☆
ボクも(と言いますか・・きっと30代オーバーの野球ファンたちは~)やっぱりこの人の影響はあったのだなぁ~と改めて感じました。
WBCで監督として胴上げされたり、記者会見をされているお姿を観ると、本当に感慨深いです。きっと奥さまも感動されていらっしゃったのでわ^^

あの抱擁は”引退試合”ですよね。憧れていたミスター長嶋に最終的に戦力外的な決断をされ、現役時代は常々ONと比較(しようもありませんが・・)されつつ、最後の最後、引き際の道を演出されていたミスターも素敵♪でしたね。
あの引退試合を観に行きたかったのですが、忙しくTVで観るのもやっとだったのを思い出しました。。

>~お前さん達は立派なサムライになった!

この人のコメントは何もかも華があるかのよう~(爆) です!

※ペナントの前に土曜日は岡田ジャパンですね!~勝ちますよぉ~☆v-415
コメントを投稿
名前
タイトル
メール
URL
コメント
パスワード
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
 

この記事にトラックバックする (FC2 blog user only!)
 
この記事へのトラックバック

ブログ記事 検索フォーム
ニュースと天気予報
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。