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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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○ガッツ溢れるプレーが真骨頂のマシガンン打線の赤き突貫弾道小僧!

現役時代その小柄な体格から発せられるガッツなプレーが信条でもあった波留敏夫選手です。
この波留選手、1990年後半の横浜ベイスターズの躍進には欠かせられない名バイプレーヤー(脇役的)であって、石井琢朗選手(’09年広島)とともに当時(特に1997、98年頃)の野球界では最強の1・2番コンビとして他球団から恐れ称えられてもいました。その期間は短かったのですが・・・。

1993年にドラフト2位で横浜ベイスターズへ入団。90年代初めに僅かながら期間ながら野球界で活躍をされ人気も話題もあった佐藤和弘(パンチ佐藤)氏と同じ熊谷組の出身という事もあってか、イメージ的にはどこかゴツゴツとした野生的(?)な印象をこの波留選手にも(個人的ですが)感じておりました。

IMG_0148はる

入団当初は内野(遊撃手)を任されていたのですが、その俊敏さある走力、地肩の強さを買われ、すぐに外野へとコンバート。その都市対抗でも強さを誇っていた当時の熊谷組での鍛え方もよかったのか、入団1年目(’94年)に53試合に出場。
翌’95年には”センター波留”として固定され、走攻守にその闘争心溢れるダイナミックなプレー・スタイルが1番打者としての適役にもなり、チームを1回の攻撃から先導させる様な活躍をも魅せていくようになりました。
この頃から”あ・うんの呼吸”、さらには”いやらしさとしつこさ”のある石井琢との1,2番コンビで、その後を打つクリーンナップへの見事な橋渡し役としてチーム得点力のアップへと貢献!(今でいう所の中日”アラバタ”荒木・井端のコンビと似ている状態とでも言いましょうか・・。)


横浜ベイスターズにとっては、投手陣も野手陣も整備されつつあって、いよいよ念願のリーグ優勝へと目された1997年シーズン中ではダイビング・キャッチを試みた際による顔面強打によるケガをし、また、オフ頃には(プロ野球選手数名による)”脱税事件”への関与も発覚し、翌1998年シーズンの開幕からその制裁のための”6週間の出場停止処分”を受けることとなりました。

’97年の成績で、”127試合、148安打、41打点、盗塁16、犠打23、打率が.295”という好成績で翌年の’98年にはさらなる高い成績と貢献度のアップへの期待も大きかっただけに、この事件そして制裁はファンを不安・心配へとさせました。
復帰した波留選手ですが、それまでのその不安を払拭させるかの奮起を魅せ、自己成績的には前年より下回る結果でしたが、2番打者としてまたセンターとしても存在感を発揮しチームのリーグ優勝、さらには日本一への原動力の一人として活躍しました。


その小柄の体型、背番号も”2”と小さながらも、そのド派手な印象がある活躍を魅せたのが、その1998年シーズンの7月15日の対巨人戦。場所は満員地元ハマスタ―。
3回を終わって、7対1という超劣勢の一般的なら負けムード・・・。
しかし、当時の”横浜マシンガン打線”は一旦導火線に点火されると、どこまでも撃ち続けるかの連打連打の強力打線☆
4回ウラに一挙5点を入れ、7対6と追い上げ必至ムード。
そんな中でも巨人は7回表に2点追加、ベイスターズも同じくウラに3点を加えこれで同点!!
まさかの8回表には3得点の巨人に続いてのウラのベイスターズも3得点!暑い暑い7月に球場内もお互いの打線が譲らない超絶乱打戦。(横12-12巨)
9回表を何とか0に抑え、ウラの攻撃にサヨナラという絶好のチャンスに巡って来た波留選手の打棒がセンターオーバー(サヨナラ)ヒットを呼んで、この劇的でもありこの球史に残るとも呼ばれた超乱打戦への終止符を打ったのがこの波留選手でした。
球場が歓声と悲鳴とだかのゴチャゴチャの音色の中で、赤い色手袋とサポーターの両腕でガッツポーズされていたのはとにかく印象深かったのでした―




そんな波留選手ですが、1999年シーズンは自己成績での現役最高の数字を残しました。が、2000年には不本意な形での60試合出場だけに留まり、2001年シーズン途中に中日ドラゴンズとのトレード話もまとまり、種田らとの交換トレードも成立に。
中日時代でも90年代の横浜ベイ時代のパフォーマンスを発揮できずに2003年には千葉ロッテマリーンズへ移籍。ロッテ時代も短命に終わり、2004年シーズンを最期に現役を引退―。

解説者等々の活躍から2006年には古巣ベイスターズに(守備走塁)コーチとして復帰。チーム事情もありながら打撃コーチにも就いたり、2009年からは再び(外野)守備走塁コーチとして、1塁コーチャーとしても活躍中!



波留敏夫(はるとしお)
1970年5月25日生 右投右打 外野手
京都府出身 京都大谷高ー熊谷組ー横浜ベイスターズ(1993年ドラ2位入団)ー中日ドラゴンズ(2001~’02年)ー千葉ロッテマリーンズ(2003~’04年引退)
通算成績:913試合、3138打数、872安打、150二塁打、44本塁打、266打点、76盗塁、103犠打、275四死球、476三振、打率.278
主なタイトル:月間MVP受賞1回(1998年7月) 、オールスター・ゲーム出場1回(1997年)

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コメント

いたち野郎 :

波留選手、ロッテでもお世話になりました♪ ロッテ時代は、オープン戦は脅威の打率を残していたんですが、ペナントが始まると…(爆)

…なるほど、種田選手らとのトレードで中日に行ったんでしたね。その種田選手も西武を最後に引退されたんでしたっけ?時代はどんどん移り変わっていきますね…。

sihuku : タネダンス~♪

いたち野郎さま こんばんわー

>ロッテでもお世話になりました♪

晩年は何がなんだか???のうちにで、何時の間にやらの”引退”の印象でした~
元ベイの優勝戦士だっただけに(一応は・・苦笑)期待していたんですけども=

>その種田選手も西武を最後に引退されたんでしたっけ?時代はどんどん移り変わっていきますね…。

種田選手はボクと同級の年代の選手でしたので、早い引退は残念でした・・。西武へ行く前のベイでの処遇も何となく一抹の寂しさもあったりでして~・・・。ナイスなキャラだっただけに。

音楽のバンドや楽曲で、古い年代のは新しい(?)発見や新解釈なんかもあったりで、過去のモノながらも新鮮さを感じたりなんですが、不思議と野球界の古い(”過去の”ですね^^)選手はそのまま古いまま!(苦笑)
といいますか・・・”音楽”とはまた違う歴史の移り変わりの面白さがあるかとも思っています~

コメントありがとうございます^^





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