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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年
50番トリオ躍動
・・・この1983年号の表紙と巻頭にはそのジャイアンツの背番号50番台にしてチーム期待の同年代3選手(駒田徳広ー50、槙原寛巳ー54、吉村禎章ー55)です。

ボクらの世代(30代後半です・・。)では、この辺りはまだ昨日(?)の様な出来事かもなんですが―。
ボク自身、地元横浜大洋を中心にプロ野球観戦してましたが、55吉村選手は好きなタイプのバットマンでしたね~♪
今の巨人の1塁コーチャーには吉村コーチが立っておられるので、何気に気になっております^^

三人ともに現役を引退されるまで、素晴らしい記憶にも記録にもハッキリと残る活躍をされてましたね。
槙原投手は初登板が完投勝利という離れ技を決めつつ、甲子園ではバース掛布岡田のバックスクリーン3連発を演出しその後に”完全試合”という偉業を記録しましたし、
駒田選手は初打席が満塁ホームランという快挙にしてその後も”満塁男”の異名から確実性も身に付けての2000本安打も達成名球界入りもし、
吉村選手は3割30本塁打と常に安定性高い打撃から近い将来にあるかの三冠王の夢をあの試合中にあった事故によって脚をも砕いてしまって・・・長い孤独な時間と努力と根性から奇跡の大復活を成し遂げたときはボクも思わず涙が・・・。
その後にチームⅤ殊勲打がサヨナラ弾だとかもありましたっけ。

現在の3人がそれぞれでまだまだ野球界に尽力をされているのが、これまたすごいんですよね。


IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (2)
現在のジャイアンツには”2番センター松本”なんて育成選手上がりの若い選手が頑張ってますよね!”平成の青い稲妻”(?)なんて応援もちらほら・・・。
今号には”元祖”!?の”青い稲妻”こと松本匡史選手の当時の盗塁シーズン最多記録(セ・リーグ)の記事が載ってますね!今でいう所の阪神赤星選手の様な足のスペシャリストでしたね。
この松本選手の活躍を支えた”つなぎのユニホーム”(滑り込むと土が入るので、それ防止にユニホームの上下がくっついている。)も話題になりました。

青い稲妻”!!!う~ん・・・絶妙にニクイほどセンスも格好も良いニックネームです。

♪ラララ、光よりも速く~青い~イナ~ズマ~。。。(って当時の応援歌だった様な・・苦笑)

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (3)
充実した選手層によって圧倒的な強戦力を誇るジャイアンツに対抗したのが若き獅子軍団が目覚め始めた新生西武ライオンズでした。

”藤田G対広岡L”というセ・パの覇権頂上決戦は、お互いのそしてこれからの野球界に誇る”盟主”としてのプライドを懸けた好試合ばかりでした。
素晴らしい日本シリーズとして、今でもファンでは語り草になっている事でしょう!!
ボクもとにかく印象に残っている日本シリーズがこの’83年なんです。

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (4)
甲子園での”大ちゃんフィーバー”の主役、荒木大輔投手(早実高ーヤクルト)のルーキー・イヤーがこの1983年でしたか!
初先発初勝利のときのエピソーゾ記事・写真ですね。

現在は荒木投手コーチとしてライオンズ投手陣を支えてますね!この初勝利の時に荒木投手からマウンドを引き継いだのが当時、先発から抑えに大車輪の活躍を魅せていたヤクルトのエース尾花高夫投手(現ジャイアンツの投手コーチ)というのも、時代を感じさせますね~。

IMG_0204週刊プロ野球セパ誕生60年1983年 (1)
現在のプロ野球の背番号で「0」ゼロ番を付けている選手なんて、どの球団・チームにも所属してますが、いわゆる”元祖”はこの長嶋清幸選手(広島東洋カープ)でしたね☆
この長嶋選手「66」番から一桁台を切望しつつも都合のよい空番もなく、前年(’82年)にメジャー、首位打者にもなったエクスポズのアル・オリバー選手が「0」を付けていたのを知って当時の古葉監督に打診したとか・・。

丁度この頃のカープのキャッチ・フレーズに”ゼロからのスタート”というのもこの背番号「0」誕生を後押ししたそうな・・。

この「0」は長嶋選手の活躍とともに球界でも流行って、その後も川相選手(巨)らも若き頃は付けてましたね。石井琢朗選手(現、広島)も若き日の横浜大洋、”忠徳”時代には「0」も付けてました。

今では「0」番なん珍しくもないほどに”定着”しつつ、「00」番を付けている選手もいますね。



※いよいよ今号で発刊から10号目になりました。
10号連続購読キャンペーンというのがあって、(毎号付いてた)応募シールを10枚分貼って送付すると専用カード・アルバムが必ずくれるそうで~

早速?いずれ?(笑)送ってみたいと思います―。

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コメント

どうぷ : 1/6完了ですね

83年の日本シリーズはほんとに凄かったですね。ワタシは高校2年生で周りが読売ファンの中、一人ライオンズを応援しておりました(笑)
この戦いを境にハッキリと西武が球界の盟主の座に君臨していきましたね。85年~4連覇、90年~5連覇。89年は近鉄が優勝しましたがもし西武だったら10連覇ですからね。
今回、広岡監督の言葉で「指導者になったときできなかったら教えられないだろう」という趣旨の発言が印象に残りました。なんだかんだであのおっさんも流石の人物だったと再発見した次第です。

sihuku : 完結まで、、、先は長いですね~^^

どうぷさま こんばんわ!

>83年の日本シリーズはほんとに凄かったですね。

ボクはセが馴染み深いというのもあって、巨人側を応援と言いますか、きっとGが優勝するんだろうなぁ・・・と思ってましたが―。
!もうこの日本シリーズはボク的にも特に印象深いシリーズでした。
当時はデー試合でしたよね!学校でも皆でひっそりテレビ付けてお昼休みはその話題で持ちきりでしたし。週末もワクワク♪ドキドキ♪

>この戦いを境にハッキリと西武が球界の盟主の座に君臨していきましたね。

このシリーズを境に”パの野球”の凄味を実感!!でしたv-405
10連覇も殆ど・・・決まり(爆)ですよね!
パの全チームから勝ち越す完全優勝の年もありましたよね!?広岡、森西武・・・恐ろしかぁーv-393

>広岡監督の言葉~

今のベイスターズ球団にも教えてあげたいッ!!!(苦笑)

当時の西武の”管理”の厳しさも書いてありましたし、やっぱりそこまでしないと・・・”優勝”もありえない!!のでしょうね~。。

※次回号から”58年”と思いっきり、過去へ遡りますね~

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