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sihuku37

Author:sihuku37
横浜市生まれ&在住になるプロ野球ほかスポーツのファン。
地元『横浜ベイスターズ』を健気に地味に応援中~☆

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○ノアのキングであり象徴が・・・・悲痛・・・・・です・・・・。
07年1月撮影時の三沢選手

○プロレスラー三沢光晴さん死亡=試合中頭を打つ

 13日午後8時35分ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館(グリーンアリーナ)で開かれていたプロレスリング・ノア広島大会で、レスラーの三沢光晴さん(46)が投げられた後、意識不明となり、午後10時10分、搬送先の病院で死亡した。
 広島中央署によると、三沢さんはプロレス興行会社の社長兼レスラー。午後8時すぎから始まったタッグマッチに出場し、約30分後にバックドロップで投げられ頭を打った後、意識がなくなったという。
(時事通信)



○<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。

 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。(毎日新聞)






※驚きました・・・。
ゴシップ(いい加減なウソ・捏造)記事/ニュースかと思いましたが、こうして時事通信に記載されているのを見ると、どうやら信じ難いのですが、本当らしい・・・。
涙出てきます・・・。

非常にショック!!です。残念です―。


自分的にも思い入れのあるレスラーでした。
2代目タイガー・マスクとして、当時(確か・・・)徳光和夫アナの興奮し絶叫した選手紹介によって、颯爽とリング・インしてきたのを(うろ覚えなのですが・・・)覚えています。
全日の注目されている若手選手にはよく組まれたエース格選手へなるためへ自分より格上の選手らと戦う登竜門!”(タイガー)7番勝負”を行ったり、そのタイガー時代からもJ・鶴田や天龍ら(ヘビー級の選手らと)のタッグ・パートナーとして全日の将来を担う有望株な選手の一人として精進してましたね。

小橋、川田らと決起した”超世代”軍の中心選手として、当時の絶対的エースJ・鶴田に反旗を唱え、マスクを脱いで素顔の”三沢光晴”として来るべく新時代へのプロレスを模索し始め、J・鶴田との熱い激闘の数々によって、プロレス界の新たなヒーロー像として広く認知されて行ったかと思います。

その大きな鶴田という壁を遂には攻略し頂上をも昇り詰めましたね!(当時の自分は鶴田のファンでもあったので、鶴田を越えて行った時は、TVの前で負けた寂しさもありつつ三沢の師匠越えともいえる活躍が嬉しくもありましたよ・・。)

総帥ジャイアント馬場亡き後の全日本を脱退しプロレスリング・ノアを立ち上げ、そのノアの象徴として戦い続け王者としても君臨してました・・・。

60分間の試合時間を壮絶にフルタイム戦う凄まじい試合もしょっちゅうありました。
スタミナ切れをしそうでも、キン肉マンみたく”火事場のクソ力”みたいな違う強心臓スタミナみたいなモノを持っていて、相手の大技・決め技をも吸収するかのレスリング技術の高さはとにかく、す、凄かったんです。

三沢がまだタイガーのときに当時のボクは高校生で、週刊サンデーを毎週水曜の楽しみでもあったのですが、三沢タイガーのグラビア(?)インタビュー記事があって、当時流行っていたアイドルの浅香唯が好きだった・・・なんて普通の兄チャンが語っている様なインタビューを強烈に覚えてもいますね・・。



プロレス界を一変させた”四次元殺法”の初代タイガーと比べ(てしまうと・・)、三沢タイガーはやはりまだカラダ自体や技も完成されていなく、その技や試合の組み立てでもどこかぎこちなかった印象もあったりでした。
ただ、いわゆる若手時代から何かの強い星を持っているのか、卓越されたリーダー性を持っていたのか(?)、同じ若手群にあっても特別に目立つ方だったのではないでしょうか。馬場さんに”タイガー・マスク”として抜擢されるほどですから、若手の中にあっても将来性の高かった選手だったのでしょう。
若手の中の”兄貴分”みたいな・・。
若くしてどこか頼れる存在でもあったのでしょうか。

素顔となった三沢光晴のレスラーとしての存在感や肉体の強さ、技のキレやスピード感等々、全日~ノアでの大飛躍に大活躍はもはや言うまでもありません―。
そして何にしても先陣を切るかのリーダー・シップ性も素晴らしかった!と思います。


自身、最近のノアと言いますか、プロレス自体の興味も薄れ、各団体のリング情報にも疎いのですが。それでも”あの”興奮や輝きのあったプロレス人気の復興には、この三沢の言動や影響が今後も必ず大きなものを占めるかとも思っていたので・・・。
この訃報がとにかく!何にせよ残念でありません!!!!
です。

ホント!?にリングの上で亡くなってしまうなんて・・・・



ご冥福をお祈り・・・・って今は考えられません!!!

  また復活して欲しい! あの世界最強の”三沢エルボー”を観たいっ!!!




三沢vs川田(三沢、タイガー・ドライバー’91による勝利)



J・鶴田vs三沢(J・鶴田、バックドロップによる勝利)



三沢よ永遠に! 入場曲”スパルタンⅩ”


三沢まで、、、レジェンド・レスラーへとなってしまうなんて・・・
本当に涙でた・・。

ありがとうございました。
 お疲れさまです。。

多くのファン同様に実感はまるでありませんが、
 謹んでご冥福をお祈り致します。。

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コメント

OASI-Z :

>sihukuさん、こんばんわ。

このニュース、今朝の新聞を読んで私もショックを受けました。
80年代中盤位までのプロレスしか分からない私でも、彼が「二代目タイガーマスク」だったと言う事は知っていました。
そして、プロレスラーはバックドロップや、ジャーマンスープレックスや、ブレーンバスターや、ラリアットや、延髄斬りを受けても大丈夫なように鍛えてあるから、あのような危険な技を受けても平気なのだと言う事も理解していたつもりでした。
でも、こんな事になるなんて・・・。

観客の前でAEDを使っての蘇生を試みたなんて、場内はきっと騒然としていたんでしょうね。

まだ、46歳。私よりも若いなんて・・・。
心からご冥福をお祈り致します。

sihuku :

OASI-Zさま こんばんわ。
今でも信じられません・・・。

>~でも、こんな事になるなんて・・・。

三沢選手(だけでもありませんが)は特に技を掛けた時の急所を熟知されている方で、どんな危険な技でも相手の具合を見ながら危険度を上げたり、下げたりしてました。逆に受ける大技のダメージの回避力も巧い選手で、瞬時に急所から回避する術は充分、カラダに沁み込んでいたハズだっただけに・・・。
これまでの疲労の数々の蓄積がここにきて・・・だったのかな?と、それを考えただけでも辛い所です。。

>観客の前でAEDを使っての蘇生を試みたなんて~

三沢コールが響いていたそうですね・・。
いつもならそれに応えてくれていたはずだったのですが・・。
個人的に好きで憧れていたレスラーが、こうして観れない事に残念と無念とショックでした。
御悔やみを申し上げます。。

コメントありがとうございます。

KOJI :

地上波中継が打ち切られたばかりにまたそうでなくともプロレス各団体にとっても人気低下で受ける影響が大きいなかでの三沢さんの死は相当に深いダメージを背負ったことだと思います。

記事にも書いたとおりにプロレス初観戦となった数年前の日本武道館での三沢、藤波両選手の遭遇。
三沢さんの死によってたった一度だけの対戦で終わってしまったことがとても残念です。

時代がもっと早かったならと思わずにはいられませんが…。
しかし、三沢さんの築き上げてきたノアの将来は、丸藤やKENTAといった若い世代が支えてくれることだと思います。

かってようなプロレス人気は無理だとしても、それでもプロレスの奥深さを色々な人に伝えてもらいたいと願ってます。

sihuku :

KOJIさま こんばんわ。

>三沢さんの死は相当に深いダメージを背負ったことだと思います。

個人的にも亡くなってみて気付かされる事もありましたが、プロレス界、ファンにもとてつもなく大きな損失ですよね。
週明けにしてこんなにもどよんと気が重くなるなんて・・・

>数年前の日本武道館での三沢、藤波両選手の遭遇。

藤波選手も先ほどのTV番組のインタビューで応えていらっしゃいました。”試合ではタッグ・マッチだったけど、次はシングルでやろう!って話していたけども・・・”と。
ノアの行う他団体との異文化交流戦は、団体の潰し合いでは無かったので、選手同士での懐かしさな想いもあったりで注目が出来ました。
戦いは戦いでお互いのこれまでのプロレス人生のプライドも懸かっていたので、楽しめましたし、楽しめますし・・・もっと観たかったですよね!

もっと若い時期の選手として脂の乗り切ってる頃の対戦でしたら、ホント!!熱く燃えますよね~
三沢ー藤波はもちろん!三沢ー武藤とかも・・・^^

>ノアの将来は、丸藤やKENTAといった若い世代が支えてくれることだと思います。

ボクも同じくで、今のバリバリな若い選手らが”プロレス”の醍醐味や素晴らしさを今後へと、とにかく継承されて行って欲しい!!との祈りと言いますか、願いと言いますか・・。期待と応援をするしかありません。

コメントありがとうございました。

姫 :

おはようございます。

まだ信じられない心境ですね・・。
いや、たぶんどれだけ日にちがたっても信じられないと思うのですが・・。
リング上で・・というのがプロレスラーとして本望だったのか・・確かめるすべもありませんが、それでも今は天高く頭上からプロレス界を見守ってくれることでしょう・・。

三沢氏のご冥福をお祈りいたします。

sihuku :

姫さま こんばんわ。

>たぶんどれだけ日にちがたっても信じられないと思うのですが・・。

あれから時間は経ちますが、やっぱりまだ何か残ってます。。

>プロレスラーとして本望だったのか・・確かめるすべもありませんが~

最近の報道では今年で現役を引退されて・・・この事故の起こるわずか数日前にその準備の話もあったとか・・・と聞きます。そういうのを聞かされるとまた切ない想いですよね。

三沢選手のこれまでの功績は残りますし、これからが大事でもありますよね!今の現役のレスラーたちで三沢さんの意志をどうか継いで行って欲しいと思いますし、ファンはそれを応援するしかありませんよね。

ミサワは凄かった!!とまた改めて思うところなんです。

コメントありがとうございます。
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ノア・三沢光晴選手、試合中頭部強打により死亡

13日午後8時45分頃、広島市中区の広島県立総合体育館グリーンアリーナで、プロレス団体「プロレスリング・ノア」の試合中、社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が相手選手に投げられ、頭部を強打した。三沢さんは救急車で市内の病院に運ばれたが、午後10時10分、死亡し

三沢光晴選手、訃報(驚)

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